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朝に起こす、いくつかのなぞ、そのほか。 [かなりふまじめ]

くろすけは昨夜は遅くまで仕事をしていました。


わたしは布団の中でMAKA-MAKAを読みつつ日本酒を飲んで待っていたのですが、2時ごろ寝てしまいました。4時ごろにいったん目が覚めて下に行くと、薪ストーブの前でくろすけは仕事をしていて、これから寝るということでした。


朝の7時半に猫がご飯がほしいと騒ぎ、起こされたのですが、くろすけとふたりでもう一度眠ってしまいました。


次に目が覚めたのは10時半くらいでした。猫が枕の上でわたしの頭にぎゅーぎゅーもたれて来てやたらせまっくるしい夢を見て目が覚めました。


隣で寝ているくろすけにキスをしたりなでなでしたりしていると、くろすけもそろそろ起きる・・・というのですが、そのまままた夢の中に帰っていきます。まあ、遅くまで仕事していたしなあ、と思ってなでなで、キスキス・・・としていました。


紅茶も飲みたいし、起きるか、とベッドから抜け出して、寝ているくろすけを見て、


「うら!」


と・・・



尻を見せましたら、とたんにくろすけが


ぱち


と目を覚ましました。


・・・思ったとおりでございました。


なーんてくだらないことをしている日曜日、coochinさんが疑問に思われていたことについてくろすけとぼちぼち話したので書いてみたいと思います。


ちなみに、わたしもくろすけも自分達のセクシュアリティーについては固定的にとらえていなくて、個人のアイデンティティーの一環として同性愛というものはあまり重要な位置を占めていません。同性愛については「自分がなにか(What am I?)」の範疇のもので、「自分が誰か(Who am I?)」にはあまり関係がないって感じでしょうか。


わたしにとっては同性愛者の権利というのは自分にとっての政治的テーマであり、それについては自分が異性愛者だと思っていたときから一貫しています。


ともかく。


1) ビジュアル系レズビアンの絶対量についてですが、くろすけともどもV系というものがなにをさすのかわからないので(わたしにとってV系とはジャパンとかスピンドルバレー(だっけ?)とかのなつかしのイギリスけばけば兄ちゃんバンドなんですが・・・古いだろー。くろすけは「セイキマツ(漢字わからん)」と堂々の答え)、回答不能です。


2)二丁目に関しては、ふたりとも行ったこともないし、これから先もたぶん観光客的に行くことはあってもそこを自分たちの聖地とすることはないと思います。誤解を恐れずにいえば、セクシュアリティーで団結する(交流を持つのとは違って)のは国籍で団結するナショナリズムに通じる画一化と排他性があるような気がして、個人的に疑いを持っている、というのがわたしの気持ちです。それじゃー、なんでおまえ、こんなブログ書いてんだよーって突込みがきそうですが。特に同性愛ということは意識しないでラブラブブログって感じです。それと、政治的な意味において可視化は有効だという部分もあるかな。


3)ゲイの関係は長続きしないで乱交的になるというイメージはメディアに露出されている部分が風俗であることがほとんどでそこを面白おかしく誇張して取り上げているというのは大きいと思います。それと同時に、多数派を占める異性愛者が「自分達は正常、あの人たちは異常」という二元論でセクシュアリティーを語る際に、自動的に同性愛に付加されてしまう価値観でもあると思います。また、同性愛者には結婚が日本では認められていないというのもそういったイメージの形成の一端を担っているのではとも思います。結婚=ゴールみたいなかんじ。それがないから同性関係は長続きしないという・・・。


このような現実をあまり反映していないSocial convention of realityをメディアがつくりあげることで同性愛者を異常化して異性愛者を正常であるとなでなでしてあげて、どっかの権力者が得をしてるんだと思う。女の人にさっさと結婚して子供生めよな、うらって。


そういった意味で、同性の関係が比較的一般に認められていて可視化も進んでいて、異性関係でも結婚をせずに同居をするという形をとるカップルの多い西ヨーロッパでは同性の恋愛は長続きしないというイメージはあまりないように思います。結婚には離婚がつきものというイメージでとらえられているほうが強いかも。あとは、同性愛だと子供ができない、ゆえに避妊とかそういうことを考えずに済むっていうのもこういうイメージが投影される理由の一端なのかなあ?


4)「オニイ」言葉が存在していないのは、これはメディアによる露出が少ないからではないか、とくろすけは言っていました。確かに、「オニイ」的キャラがメディアに登場すればそれに対して何らかのカテゴライゼーションが行われるのでは、と思います。そういう言葉があると便利だし。


だから、一人でいいから「オニイ」という記号を与えられる人が登場すれば、その後無数の「オニイ」がものすごい勢いで登場してくると思います。今までばらばらに取り扱われていたボーイッシュ、タチ、そのほかの「男性的」属性が画一化されて統合される、みたいな感じで。そういう意味で、「オニイ」言葉というカテゴリーが存在していない今はちょっとした自由の楽園みたいなものかもしれない。個人がユニークでいることができる記号のない楽園(とかいってみたりして。笑)。


また、過剰な男性ジェンダーの再現に関して「これで自然」といわれるとなんとなく納得してしまうのは、いまだに父権的なディスコースに支配されている日本語の空間において、女性同士の関係を女性の立場から語るディスコースの形成が未熟であるからではないかな、なんて思います。そのため、女性同士の関係を男女関係のアナロジーで見てしまうので、「オニイ」の男性ジェンダーの過剰性に対して納得しちゃうのかなあ、とか。でもそれって、女同士の関係じゃなくて、去勢された男性を求めてるのでは、とか思ったり。ええと、女性が男性のかっこうしてホストするのとか。


5)わたしはラッキーな一握りなのでいつも深爪です(笑)。料理をするときに気になるのでマニキュアもしません。あ、でも、ハープは爪が長いと弾けないのでそれで短くしているというのもあります。


こんな感じかなあ。


この記事を書いていて、くろすけもわたしも思春期に自分達のセクシュアリティーに付いては特に悩まなかったので同性愛に対するスタンスが思春期のときに自分のセクシュアリティーに付いて考えてきた人たちと根本的に違う、というのがあるのかもしれないと思いました。後者の方達にとってはセクシュアリティーはアイデンティティーの形成でとても重要な部分を占めるものなのでは、と推測します。まあ、遅れてきた同性愛者の意見って感じで。


(5月21日夕刻、付記しました。)


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