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分岐点その3 -依存すること 2/2 [追想]

つまらないことで気がめいっていてごめんね。でも、ときどき、どんなに近くにいても、受け入れてても、くろすけに拒絶をされているように感じる。君なんて要らないんだって。それは別に、どういう言葉遣いとかそんなんじゃなくて。現実的に必要な(利用価値がある。悪い言い方をすれば)人はちゃんといて、その人のことは必要としているから、きちんとそばにおいておいて。少々不愉快でも嫌いでも、自分の人生に関与させている。わたしはくろすけの人生には関与していない。少なくとも積極的には。はっきりいって、そういった現世的意味では全く利用価値がないからね。

そんなことは分かっているから、いいんだよ。だからどうしろというのではない。でも、最近、いろんな形でそういうことを示されてきたので、ずっと凹み続けていて。

でも、それはくろすけにとっても同じだしね。

そういう意味では、違う世界に住んでいるんだな、と、距離を感じてる。違う銀河でお互いにその銀河の中で運行している星みたいだなって。遠くから懐かしく見ているだけ。

しょうがないね、こんなことを言っても。

必要としている人から、必要とされるべき何かを持たないというのは、切ない。
それをほかの人が満たすことができるのをみているのも切ない。

でも、しょうがない。あきらめているから。

だから、心配しないで。くろすけのせいじゃないし、そのうちまた元気になるよ。

いい一日を。そう願うしかできないけど。

 

 


落ち込んでいるところに追い討ちをかけてしまうかもしれない。
・・・朝は読まないほうがいいかも・・・。


物理的な距離とこころの距離をしのは切り離せないものに感じているようだけれどそれは僕にとってはそうではない。こころの距離っていうのは依存だと思う。相手の存在を求めること。
どんなに物理的距離が近くても、僕は寄りかからない。依存しない。(もちろん、触れたいと思うこともない。)


物理的に手の届く距離にあれば、利用できるものは利用する。何も利用しないで世の中を渡っていけると云えるほど僕は強くもないし世間知らずではない。だけど自分や相手を偽って利用することはしない。僕が与えられる範囲で受け取れるものしか受け取らない。それで生き残れないならばそれは仕方がないと思っている。
利用価値があるからそばに置くわけじゃない。
それがなくても僕は何も変わらない。


> 必要としている人から、必要とされるべき何かを持たないというのは、切ない。それをほかの人が満たすことができるのをみているのも切ない。


僕はしのを必要としているよ。
しのが在るということ、僕を受け入れてくれること。
愛してるっていってくれること。しのの喘ぎ声。


僕が君に必要とすべきものってなんなんだろう。
それで、誰が「それ」を満たしているとしのは思っているんだろう。


僕はひとりでも平気だっていうのは、ほかの人がなにかを埋めるからじゃなくて、とっくに埋まらないままに生きる覚悟をしているから平気なんだ。そこはしのにしか触れて欲しくない。しのにしか埋められない。


・・・だまって待っていられなくてごめん・・。
しかも、何回見直してもすこし感情的っぽい・・・。
大事なことは、ほかの誰でもなくしのを愛してるっていうことなんだけど。


それじゃあ、ハープが上手くひけるように。


2005.11.1


 


 


 



このときのメールが、しのに依存してることを言葉にした初めだったんじゃないかと思う。
誰かを必要だと口にすることは、それまでの自分の世界を壊すようなこわさがあって、言葉にしなくてもわかって欲しいとか自分勝手に考えていたことに気づいた。


感情を言葉にすることで感情自体が影響されることってある。
このメールを出してから、僕はしのなしでは生きていけない、と思うようになった。


 


・・・というわけで、今にいたる、かな?
最近ようやく新しい仕事が落ち着いたので、しののところへ行っている間に書きかけだった記事を終わらせておきます。


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コメント 4

しの

ああ、あのころは、なんてまじめにくろすけを愛していたんでしょう。よよ。

くろすけが「一人でも大丈夫」って「依存関係なんてごめんだ」とかいつも言うから、くろすけに必要なのは「現世的利用価値」があるあいつ(奴だよ、奴・・・)みたいな人なのかなあ、って思って凹んでいたんだよね。

それで「セックスのときに擬似的にそういう依存関係を演じるのが楽しい」とかいうから、わたしはそういうプレイのためにあるといいアイテムみたいなもんだと思ってたんだよ。傷つきながらね。

言葉にすることが必ずしもいいことだとは思わないけど、行動で示すことができない距離が不可避な関係にあっては、やっぱりできるだけ言葉にしていくことが大事じゃないのかな、なんてそのころ思っていました。
by しの (2007-08-01 22:35) 

くろすけ

がーん・・しのはいまは遊びなんだね・・しくしく・・
僕が真面目に考えてる今も、スカイプの向こうでガッチョーンとかシュワッチとかいってるし・・・。

別に、現世的利用価値は、利用はするけど必要じゃないよね。依存関係については、依存したいけど現実には依存できない(いろいろな意味で)から、ベッドの上でもいいから擬似的にそういうものを必要としていたんだと思う。しのにも家庭があるから、依存してもつらくしちゃうと思って、依存したいと思わないように気をつけてた。でも必要としてた。しののこと。
いまは依存してるし、必要としてるし、依存されたいし、必要とされたい。
同じように相手を必要としてるって思えるのはすごく幸せだよね。
これも苦労して意思疎通をはかってきた成果だけど。遠距離恋愛じゃなかったらいまみたいな関係になるにはもっと時間がかかってたんだろうな・・。
とか思ってる。
by くろすけ (2007-08-01 23:14) 

しの

ちがうー。

ガチョーンって猫がひざの上でしてたから、
話せない猫にかわって言ってあげてたの!
by しの (2007-08-01 23:20) 

くろすけ

いったい何が違うんですか・・笑・・
by くろすけ (2007-08-01 23:22) 

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