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流氷 [業務連絡]

北海道は何度も野宿をしながら旅をしました。ネットも携帯電話もない時代で、一度旅にでると赤電話だけが自分を自分の日常につなぐ手段でした。流氷も見たくて冬にサロマ湖にいったこともあります。サロマ湖は凍っていましたが流氷はありませんでした。砂州の先端から暗い海を見ていました。

今日、サロマ湖の外に流氷が来ているみたいです。ライブカメラで見てなんだかちょっと感動です。見に行ったときには見れなくて、こんなに遠くにいながらネットの情報を使ってリアルタイムの流氷を見てるなんて。

富磯のシーサイドバスホテルはまだあるのでしょうか。キスリングを担いで海岸を歩いていたわたしを乗せてくれた親切な若い男性ももうお父さんになったのかな。歩いているわたしとゆっくりすれ違ったチャリダーや通りすがりにピースサインをして励ましてくれたバイク乗りたちは今でもどこかを旅しているのかな。死んじゃった先輩や、中島公園の夜、ススキノのネオン、釧路湿原の鶴。知床の凍った滝の氷の青さをいつかくろすけに見せたいな。


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コメント 4

へろーめ

東日本はバイクで一周しました。
北海道は、旧国鉄で何度か行ったのですが、
もぐりの旅人宿をやっていた札幌の友人の家で足止めをくらって
函館・札幌以外は列車から見える風景しか知りませんw
自転車乗り、バイク乗り、もうみんな大人になって家庭を持っています。
私だけが漂ったまま港を捜しているのかもしれません。
by へろーめ (2008-02-25 14:16) 

まりえ

はーい!
私、サロマ湖畔YHで短期間のアルバイトをしていたことがあります!
北海道いいですよねー。
チャリダーなんていう言葉にこんなところで出くわすとは思いませんでした。
しのさんは、徒歩で北海道を廻ったんですか?
格好良すぎです!!!

ところでキスリングって何(のメーカー?)でしたっけ?
by まりえ (2008-03-02 00:09) 

しの

> へろーめさん

お返事が遅くなりました。

旧国鉄時代! ああ、懐かしい。
わたしははじめに北海道に渡ったのは青函連絡船が廃止になる直前でした。夜明けの青森駅の風景は今でも心に残っています。

みんな大人になったんでしょうね・・・きっと。それはそれで少しさみしいと自己中心的に思ったりします。そう思うのはわたしもきっと大人になりきれていない永遠の17歳中年だからでしょう(笑)。
by しの (2008-03-02 03:00) 

しの

> まりえさん

サロマ湖のYHでバイトされてたんですね~。サロマ湖はYHじゃなくて船長さんの家に泊まりました。

北海道にいくまでは青春18切符(恥ずかしい名前だー)のばら売り券二枚で、入ってからは周遊券でまわっていました。駅から遠いところはヒッチハイクとか歩きとか。

歩いてるとバイクとか車とかとすれ違うときは一瞬なのですが、チャリダーとすれ違うのには時間がかかるので(笑)、お互いに「大変だねえ」みたいにへらへら笑ったりして、なかなか間抜けな感じで楽しかったです。

今のリュックって細長いですよね。それでフレームついてないし。あれを背負ってる人を「海老族」というのです。キスリングは今のリュックがでてくる前のもので、フレームがついているんです。なので横にちょっと広くて、改札を通るときは横向きにかに歩きをしないと通れないのです。ゆえに「カニ族」といわれていました(笑)。
by しの (2008-03-02 03:07) 

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