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Openly gay [ちょっとまじめに]


下の記事でくろすけがカミングアウトについて話しているので、わたしも自分の立場をこの辺でちょっと書いておこうと思います。




わたしはカミングアウトはする必要はないと思っています。どうしてもしたい、自分が同性愛者だとわかっていただきたい、という強い欲求や、カミングアウトをする必要性が生じてきたのでなければ、いう必要はまったくないと。




わたしの場合は、息子にはきちんと話したかったので、話してあります。周りにははっきりいったのはボランティアに参加するときに、一応、話しておいたほうがいいかな、と思ったので話したくらいかな(ボランティアの性格上、話したほうがいいと判断したのです)。あとは、息子の学校の担任の先生に話しておきました。




学校の先生に関しては話すつもりはなかったんだけど、元夫がわたしのセクシュアリティーについて(それは人のセックスライフについてと同義語だと思います)言いふらしたので、もしかして息子の友達がそれを又聞きして悪意に解釈をしていじめに発展するかもしれない、と懸念したからです。幸い、そういうことはなく過ぎているようです。




それ以外だと話したのは、カウンセラーとかそういうケアの専門の人たち。




普段は特になにも言っていません。ただ、くろすけについて話すときに、わたしのガールフレンドが、と話しています。特に、わたしは同性愛者です、といったことはないような。そういう風に話していたら、そのうち周りは納得してくれるだろうと思っています。隠さないけど、宣言もしない。そういうOpenly Gayという状態がわたしの理想です。




この理想は、わたしの場合は意識的に決めたものであり、くろすけの場合は無意識的にそういう行動をとっているという違いはありますが、二人の間ではそういう合意ができていると思います。だからまあ、街中でもいちゃいちゃしてしまうのだが。自分たちが隠さなければいけないことをしているとは思っていないので。みられると恥ずかしいが。笑。




先日、親にはカミングアウトをしたのですが、それは離婚を説明する際にそのことに触れずに話すと、親から「やり直せ」「再婚しろ」などの変な圧力がかかるのがうっとうしかったので。また、離婚について説明するのもそれを避けて通るのはなんとなく正直ではないような気がしたので。それがなければ、いっていなかったと思います。また、親との関係がものすごく疎遠、というのもあります。だから、葛藤なく話せちゃうという感じです。




すでに両親にはくろすけは大事な友人だと話してあり、二人ともくろすけはほかの友達とは違うらしいという認識はあったようです。カミングアウトをしたとき、くろすけが相手なのかと尋ねられました。




くろすけもわたしも親に対してカミングアウトをするかしないかで悩まないひとつの大きな理由は経済的に完全に独立しているから、というのが大きな要素だと思います。たとえば、今、一緒に暮らしていない理由はわたしが息子のそばにいてあげたいし、くろすけも仕事の関係でそうそう簡単に日本を離れられないからです。




これらの理由がなくなればすぐに一緒に暮らすだろうし(どちらの国で、という問題が残りますが)、そのときには親には「一緒に暮らすから」と連絡をするだけだと思います。わたしは同性愛者です、だからこの女性と暮らします、とはいわないと思います。くろすけは大事な人で、一緒に暮らしたいから、というと思います。だって、もし、相手が異性だったら、わたしは異性愛者なので、この男性と暮らしますとはいわないから。




そのときに、親が怒ると悲しかったりするかもしれないけれど(わたしの場合は、Fuck offって思うだけだけど)、実際、自分の決断で自分のできる範囲でするので、親には阻止できないと思うんです。お金を出してもらうつもりはないから、親から許可をもらう必要もないし。どっちにしてもいい年した子供がどういう生活をするのかは子供の決断だと思うし。




親から許可が必要って思うのも、当たり前と思わないで、なんでかな、って自分に聞いてみるのって大事だと思うな。駆け落ちしたっていいじゃない。ほんとに好きなら。




そういう風にして、自分にとって大事な人だと親にわかってもらうのが一番いいんじゃないかな、とわたしは思っています。




特定の相手がいる上でのカミングアウトは、下の記事でくろすけが触れているとおり、「この人とセックスしています」という言葉とほぼ同義語ではないか、と思うのです。異性の相手を家に連れて行って、この人とセックスをしています、というと親はやっぱり衝撃を受けると思うんです。だからこそ、異性との関係の場合、付き合ってる、結婚したい、という言葉にくるんでお付き合いの性的側面を真綿で隠しているような気がします。




また、親としても、もちろんなんとなく気がついているとは思うんですよ。自分が親になってはじめてわかることですが、自分の子供のことって、とても良くわかります。もちろん、常識とか親の立場から見た幸福の形を子供に持ってほしいと思うから、そう簡単に「結婚しないの?」「孫の顔を見せてくれ」攻撃はやまないと思います。




だからといって、そこで、カミングアウトをしてはっきりとした言葉にしてしまうと、親もなんとなく受け入れていたことを、自分の持っている「常識」体系にそって言葉にしなければいけなくなるので、日本という社会が持っている言語形態に隠されている「倫理」「常識」に従って受け入れられなくなったり、反対したりしざるを得なくなるのかな、とか。




要するに、自分に正直にいきていく経済的基盤があればカミングアウトなんてとくにする必要はない、とわたしは思っているのです。




そういう意味で、経済的に親から独立した段階でくろすけを見つけたわたしはとても幸運だったといえると思います。くろすけは、高校生になったときから完全に経済的に独立しているので、親に対してのカミングアウトは必要ないと感じているのだと思います。




しかし、こういう考え方を貫けるのは、二人ともかなり好き勝手に生きている人間であることがその大きな理由かもしれないです。だから、これは、わたしの個人的考えであって、これが正しいとも思っていないし、みんながそうすべきだとも思っていません。




なんだか、まとまりなく、つらつらとかいてしまいました。くろすけの記事の補足というかなんというか、二人の間にはこんな合意があるんだなという風に思っていただけると幸いです。


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