しののなかにしか僕の居場所はないんだろうなと僕は思う
整理してみると、今回の問題の発端は、しのが精神的に余裕のないときに僕がしのの息子さんへの接し方に対して否定的な態度をとったことが原因でした。
そういった態度をとる背景は、僕がいままで「親はなくても子は育つ」的な考え方に支配されて生きてきたし、そういう考え方だということをしのに知って欲しかったことと、今の状況として、息子さんがいるためにしのと一緒に暮らすことができず、それを否定するわけにもいかず(僕も息子さんが独立するまでしのがそばにいたほうがいいと思うから)、寂しい気持ちをもてあましていた、ということだったのですが。
そしてその際に茶化すような言い方になってしまっていたのですが(今回は)、以前にも息子さんへの接し方についてはなしをしているときに、「そんな風に考えるのはくろすけだけだよ」とか「おかしい」とかいわれていて、だから真面目に議論してしのに否定されることを恐れていたみたいです。
みたいです、というのは、この一連の記事への他の方からのコメントで、僕の意見がマイノリティであるということが僕に過去のいろいろなことを思い起こさせたから気づいたことで、もう十年近く親に対する僕のスタンスみたいなものを他のひとへ話すこともなく僕自身意識することもなくなっていたのですが、(コメントを下さっている方たちは注意深く価値判断を含まない書き方をしてくださっていますが)僕はずっと否定されていたし、理論的に子育ての正解はないにしても実際に他者へ対するときには子供が社会の一員である以上社会の多数派の意見にしたがうほうが良いだろうと思うので、僕は僕の意見を他の人にいうことが間違っていると思っていました。周囲からの否定と、僕自身の対社会における自己否定で僕はずっと孤独でした。(不幸とかではなかったのですが・・。しのに会うまでは人生っていうのはそういうものなのだと思っていたので。自然科学という自己完結的な悦びもあったし。)
だから、しのの息子さんへの接し方を変えさせるつもりもなかったし、自分の意見を否定されたくもなく、でも自分の考え方は知って欲しくて、茶化すように「過保護だねー」とか「そんなのわからないよ」といっていました。それで茶化した態度でいるので、しのは自分の言い分を言うこともできないし、僕がしのの選択を現実問題としては支持しているのだということが確認できずに一方的に傷ついていたのだと思います。
いままでの僕の発言が、自分の気持ちをごまかしたものだったということがわかったのと、そういう状況のときにしのに疎外されることで僕が傷つくのだということがお互いにわかったので、これからは茶化すのではなくて、真面目にはなそうということになりました。
いまはしのに受け入れられているという安心感を感じることができます。
こんな風にいたらないもの同士、ぼちぼちと、やっています。
今回はかなり、青息吐息でしたが・・。
けんかのあとで。 [業務連絡]
くろすけと話しました。
はじめのうちはわたしも感情的になっていたし、くろすけも感情的になっていて、がたがたと不毛な言い合いを繰り広げてしまいました。
わたしのほうは離婚のことや、息子のための部屋作りなどで、いろいろなことがうまくいかずにストレスがたまっていました。そこにフラッシュバックなどが重なり、くろすけがいつものように話を聞いてくれないことにイライラが爆発してしまいました。
また、くろすけは自分でもわからないもやもやを抱えて、それを冗談や冷やかしなどに摩り替えていました。そのもやもやをわたしが解きほぐさないどころか、感情的になって責めたので、くろすけ自身も珍しく感情的になっていました。
くろすけは彼女なりにあるひとつのポリシーを持って生きてきました。それはわたしはなかなかすごいと思うし、尊敬をしています。ただ、それがユニバーサルなものであるとは思っていません。一人ひとり生き方が違うしね。環境も違うし。間違っているとは絶対に思わないけど。でも、くろすけはその自分の生き方を人から「間違っている」といわれ続けていたため、常に疎外感を感じていました。
ですから、息子の取り扱いについて、くろすけが「過保護だ」「甘やかしてる」などなど揶揄をした際に、わたしが激しく言い返したり、くろすけがさせようとしてるのは「変だ」といったりしたことで傷ついたのです。
そうして傷ついたところに、わたしが息子を優先させているように思えるのが重なり、どんどんと揶揄がひどくなり、それがわたしのイライラをどんどん募らせ、言わなくてもいいことまで言ってしまったりしていました。
いままで、わたしが息子についてのいろいろについて話すたびに、くろすけが微妙にイラつくのはなんとなく感じていましたが、彼女がなにも言わないのにわたしの側で甘えがあったのかもしれません。気がついていたなら、もう少し早くそこを解きほぐすべきだったと反省しています。
とりあえず、いろいろと話すことができて、これからはくろすけが息子についてもやもやした気持ちを持ったときは、それを揶揄や皮肉にするのではなく、正直に言ってね、という感じで落ち着きました。ただ、くろすけの側も、自分の中のやもやがいったいなんであるのかはいままでわかっていなかったそうです。そういう意味では今回の一連の大騒ぎはよかったのではないかと思っています。
くろすけにもわたしが息子を優先しているのではなく、わたしにはBestはできないので、Best possibleをしようとしているのだとわかってもらえたのではないかと思います。そしてその際にどうしても息子を優先しているような印象を与えてしまうことがあることも。
また、わたしも、自分の考えていることや何かを整理する良い機会になったと思っています。
さて、これはわたしの側からの話ですので、くろすけの側からはまた違う見方があるかもしれません。
いろいろとご心配をおかけしました。こんな感じで乗り越えて行きたいと思います。
いろいろと暖かなコメントをありがとうございました。