SSブログ

しょぼい運命の女神ですけど。 [好き]


こちらの記事で、「運命」という言葉で自分達の出会いやその後のことを説明してしまいたくない、と書きました。




運命の女神はいて、ありえない偶然を引き起こしているかもしれないけれど、それでもそれだけがすべてじゃないはず。偶然といえば、町の中を歩くだけでもひとやまいくらで量り売りできるくらいの偶然のすれ違いがたくさんあります。買い物をしているとき、バス停で待っているとき、飛行機に隣り合わせに乗った人。でも、そういう偶然はあとから振り返ってみて「運命でした」と思うようなものには発展していません。




それは、その偶然を自分の未来に繋げていくかどうかという決断は常に自分が握っているからだと思います。偶然に見つけた愛しい人と一緒に未来を紡いでいくのかどうかという決断は常に自分がするものだから、自分の運命の女神は自分自身なのだと思うのです。




偶然見つけた言葉をどういう風に自分のものにするのかも、その言葉を発した人のものではなくて、その言葉を偶然に見つけた人。ワインの栓抜きみたいなもので、自分の中にあったけれどうまく出てこなかったものをひょいと開けてくれるようなものが、素敵な言葉だと思うんですよ。だから、そこにあるものはいつでも自分の中にあったものだけ。




そうやって誰かに決めてもらった未来ではなく、自分で選んだ未来なのであれば、それが実は大失敗(笑)だったとしても、自分の決断だったのだから、とあきらめもつくのかな。




そうやって自分の決断は自分のものであるのと同じように、相手の決断も相手のものなのだと思います。ここのところをわすれないようにしなければ。わたしは自分の運命の女神だけれども、誰かの運命の女神にはなれない。






・・・で、これ、わたしは女なので、自分の運命の「女神」なんていってるけど、男の人ならどうなのかしらね? 運命の男神? やっぱり運命の「女神」? ・・・とか考えて、ついつい友人男子一名が女神のコスプレしてるところを想像してしまいました。どひゃー。いやいや、神様に性別があるなんて考えてしまう根っこのところが間違ってるんだとは思うんですが。


nice!(0)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。