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自分のナラティブと現実の齟齬 [ちょっとまじめに]

人間が自分が自分でありほかの誰でもなく、生まれたときから死ぬときまで同一の人物であると認識するのは(果たして同一人物たりえるのか、他者は自分に含まれないのか、という哲学的議論は横においておいて)、自分の人生を破綻のないナラティブととらえることができるから、というDavid Carrの説が好き。

音楽をひとつのメロディーとしてとらえられるというのは、曲が始まってから任意の時点までの音の流れを覚えていて(これをRetentionというらしい)、これからの曲の流れをある程度予想できる(Protention)かららしい。人間はこのRetentionとProtentionというふたつのものが調和していないと音楽をひとつの流れとしてとらえられなくなるらしい。

人間の人生も一緒。今まで生きてきた過去と、これからそうであろうと思われる未来が調和していてこそ、自分がまぎれもなく同一の個人である、と自信が持てる。そして人間は意識的に自分の望む未来に向けて調和が生じるように自分の過去を構築していく―自分にとって望ましい出来事を拾い上げてナラティブに作り上げていきながら。

で、ミッドライフクライシスなどといわれるものなんかは、自分の人生に対するRetentionとProtentionが調和をしなくなって起きるものだそうだ。

自分が今まで疑いもしていなかった自分の過去を再構築して自分がこれから生きるであろう未来に調和させなおすか。

自分が生きるであろう未来を見ないふりをして現実逃避をするか。

自分が生きるであろう未来を「間違ったものだ」として、周囲や他人を非難して認めることを一切拒否して自分の現実と不毛な戦いをし続けるか。

選択は我にあり。


まあ、こんな感じで重い話かもしれませんけど。


posted by しの at nice!(0)  コメント(2) 
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