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空の飛び方 [追想]


画質が悪くてスイマセン・・・。
宿舎のひさしに作られたすずめの巣です。
朝夕にぎやかです。



しのと初めて会ったのも丁度今頃で、鳥の子育ての季節でした。


しのの部屋の窓を開けると目の前が垣根になっていて、そこで毎朝6時くらいにすずめが飛ぶ練習をしていました。体育の先生が吹く笛の音のように、ピッピッピッ、という規則正しい親鳥の泣き声と、その後を追いかける雛?の騒がしい泣き声がおかしかった。



あれから2年経って、ふたりの関係も大分落ち着いたなーってしみじみと感じています。


これからもよろしくね。>しの


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分岐点その2 -仕事か彼女か [追想]

しのと付き合いはじめた頃、僕は学会の発表を目前に控えていて非常に忙しくしていました。発表までひと月をきっていて、データを取りつつデータ解析のためのプログラムを走らせた状態でしのと食事をするために研究室を抜け出したりしていたのですが、どうしてもしのと会える時間は夜遅くになることが多かったです。一緒に会っても僕はアルコールは飲まずにしのが寝た後で論文読んでたり・・。


そんな忙しさもピークに達した発表前日、僕はまだポスター作成中で、共同研究者との打ち合わせなどがあって学会会場と研究室を行ったり来たりしていて、メールをチェックする時間もありませんでした。夜9時をまわってもまだ終わらず、指導教官と打ち合わせをしていました。そしてデータを取りに自分の部屋に戻りパソコンを見ると新着メールが来ています。しのからでした。



くろすけなんか嫌い。
またされる身にもなって。
もう会いたくない。



あわててメールの返信を書こうとしたところ、電話が鳴りました。受話器をとると電話の向こうでしのが泣いています。何を言ってもしのは「嫌い、もう会わない。」と繰り返すばかりです(京ことばになってるんだけど萌えてる場合じゃない;)。
電話を切ることもできずに一時間程経過したところで指導教官が部屋へ入ってきて、僕が電話をしているのをみるとなにも云わずに部屋に戻っていきました。
その後少しして、しのに「ばいばい。」と電話を切られ、とりあえず僕の中では、打ち合わせを終わらせてしののところへ行き研究室へ戻ってポスターを仕上げるしかないだろう、ということで、すぐに指導教官のところへデータを持って行きましたが、指導教官は帰り支度をしています。<確かになにも申し開きができる状況ではありません;。
そして帰り際にひとこと。


いい身分だね。



すいません…。僕は指導教官の背中を見送りながら研究職をあきらめました…。


結局、打ち合わせの必要がなくなったのですぐにしのの部屋へ行き、寝ていたしのを(半分)起こして仲直りしました。学会発表にも間に合わせました。
実際には学会発表に間に合わなかったくらいで研究者になれなくなったりしないし、指導教官だって変えたらいいんですけどね。ただ、このときが、たとえ研究を続けられなくてもしのがいる人生がいい、ということを意識したはじめだったんです。


だから今では仕事がどんなに立て込んでいてもしのが寂しそうだったらしのと一緒にいることを優先させるし、しのが自分の国に来てくれというならばしのの国で生計を立てられる職を探そうと思っています。僕は自分の今の仕事が天職だと思っているし、しのもその面白さを理解してくれているので、当面は現状維持路線ですが。
それでも、僕にとっては仕事というのはしのの気持ちを犠牲にしてまで固執するものではなくなっている。いままでは付き合っている人よりもきっぱり仕事優先派だったのに、不思議です。


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分岐点その1 -友達から友達以上 [追想]

僕は分不相応なものに無謀に手を伸ばすことが度々あります。自分がいま何をしているのかいちいち考えていたら大切なものを逃してしまうこともある。自分が行動したことの結果は常にわかるわけではない。だから欲しいものは我慢しない(自分の行動に対して責任を取る覚悟だけはいつもしているけど)。そんなわけで、その瞬間瞬間での僕の行動に嘘はないけれど、自分がなぜそうしているのか、どこへ行こうとしているのか、必ずしも理解しつつ行動しているわけではありません。


それで、現在しのとこういう関係になる過程には、僕にとって自分の気持ちを決める(確認する?)上での決定的な分岐点がいくつかあります。


そんなはなしを少し。
いまそんなに詳細まで覚えているわけではなくて、付き合い始めた当初のメールを最近読み返して書いているのですが。


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しののブログをはじめて読んだときから僕はしののそばにいたいと思っていた。
多分、会話とか接触とかを求めていたわけじゃなくて、ただそばにいたかった。ブログを読むだけのときは自分の存在を知って欲しかったし、実際に会いたいと思っていたし、実際に会ってみると今度は毎日会いたかったし、少しでも長く、少しでも近くに座りたかった。
それは会ったこともない人へ望むことではないように感じていて、でもどうにもならないから、日曜日に初めて会った後「また金曜日」って云ったんだ。


火曜日になるとしのは熱を出していて、電話があってあわててしののマンションへ行った。当然何の役にも立たないんだけど。心細い思いはさせちゃいけないって、わずらわしく思われるくらいが丁度良いだろうって、それだけ。本当に役に立たなかったんだけど(笑)。
それで、水曜日にもう一度お見舞いに行った帰り際にしのがぎこちなくHug(?)をしてきて、
その頃のしののつらい状況とかを考えると、ただのHugだって(少なくとも理性では)わかってはいても「ただのHug」をする気持ちというのを考えると、こちらから抱きしめるべきなんじゃないか…と、一日考えて(短い?笑)決意を固めた気がする。(だけどそれは押し倒すという意味ではなかった。本当に。)



それで、しのと一緒にお酒を飲んだ翌朝、気がつくとソファで寝ていて、記憶がなくて、しのがやわらかくソファに腰掛けてきて、なんでだか説明もつかないんだけど自然に膝枕のポジションになっていた。<なんででしょう(笑)
あざができたとか、僕に記憶がないこととかをゆるゆると責められながら、でも全部本気なんだって言い張っているうちにしのを腕の中にしていた。もっと近づきたいと思っていることは疑いようもなかった。だけどしのを傷つけることはしたくなくて、触られても気にならないところまでしか触らないようにしようと思ってた。自分でもどうしたいのか、どうすれば良いのかわらなかったし。それで、その行為に「スキンシップ」という名前をつけることで僕は納得していたんだけど、翌日、しのから「あんなことがあって、どうしていいのかわからない」という混乱したメールが来た。


僕は自分がしたくてしたという自覚があったから、その結果のすべて(しのの混乱も含めて)を受け止める責任も権利もあると思って迷わず会いに行った。だけどしのの返信を読んでなかったから、もし来るなっていう返信があったらどうしようと思って玄関先をかなりうろうろした。電話も出てくれないし…(待っているうちに寝てしまったらしい)。結局インターホンを押したらしのが出てくれて、しのに嫌われたわけではないらしいことがわかって、その夜から僕は僕の行為に無理に名前を付けるのをやめた。


 


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ここ数日、しのとこうして一緒にいて、縁って不思議だなーとか考えています。
あとふたつくらいこんな感じの記事を書く予定・・。


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ダイヤのピアス [追想]


くろすけと出会ってから約半年後のころ、今から思えば一番つらかったくらいの時期ではないかと思います。理由はいろいろとあると思いますが、一番の理由は、くろすけのことが大好きで一生一緒にいたいと思っているにもかかわらず、元夫も愛しているという命題にしがみついていたからではないかと思います。




元夫のほうが20歳年上だったので、「この人が70歳まで生きればわたしは50歳。くろすけとはそのあとしか一緒にいれないのか・・・でも、90歳まで生きたらどうしよう」などという、恐ろしく自己中心的なことを考えていたにもかかわらず、自分に嘘をつき続けていました。




だから、その時期のわたしはとても不安定だったし、何かあるたびにくろすけの手を振りほどこうとしてしまっていました。くろすけがいるからわたしは自分に嘘をつかなければいけないのだから、くろすけがいなくなれば。元夫との生活に今までだってがまんできたんだから、と。でも、くろすけは絶対にどこにも行かず、いつもそこにいてくれました。




あるとき、いつものようにわたしが「くろすけとは別れる」と大騒ぎを演じたことがあります。別れる、といいながらもわたしにはくろすけが必要で絶対に別れられないと頭の後ろからもう一人の自分が必死でささやいて来ていました。そして、くろすけもわたしのことを絶対にあきらめなかった。




本当にうれしかったです。




なんでわたしはくろすけと一緒にいたいにもかかわらず、ゆれ続けてしまうのだろうと本当に情けなかったです。そして自分にくろすけと一緒にいたいのだと言い聞かせるため、左耳の上のほうにピアスの穴を二つ開けました。




そしてくろすけに今度会ったらダイヤのピアスを買ってほしい、と頼みました。くずダイヤの安いものでいいから買ってほしいって。自分の心の中では婚約指輪の代わりのつもりでした。ずっと一緒にいるという自分の気持ちをそういう風にして自分の体に記したかった。くろすけに属するものを自分の体の一部としていつも持っていたかった。でも、それを口にするとなんだか自分の思いをくろすけに押し付けるみたいな気がして、いえませんでした。




でも、くろすけも同じことを考えていてくれて、それがあるとき会話の中でわかってとてもうれしかったです。




くろすけが買ってくれたのは、ティファニーのダイヤのピアスです。わたしが好きなデザインのものをいくつかくろすけに伝えて、くろすけが選んでくれました。これを買うためにくろすけはそのとき年末年始に臨時のアルバイトをしました。そして2006年のバレンタインデー直前にくろすけの手で耳につけてもらいました。(←バレンタインデーまで待てなかった二人です。笑)




それ以来はずしたことがありません。ずっと左耳につけています。




これからもずっとつけていると思います。




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これにまつわる笑える話もあるんだけど。それはまた。


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薬品の匂い [追想]

しのはカーペットのしみを落とす洗剤の匂いで頭が痛いらしい。
そのメールを読みながら、会ったはじめのころにもたんすのショウノウにあたって体調を崩してたなー、なんて懐かしく思い出した。


しののもうひとつのブログで体調が悪いことを知って、お見舞いに行きましょうか?ってメールしたら、忙しいだろうから来なくていい、という返信があって、そのあとすぐに、やっぱり来て、って一行だけのメールが来た。来るなって云われても行くつもりだったけど、すごくうれしかったな。


お見舞いに行くと、「A列車で行こう」が流れていて、ショウノウは抜けたようだったけどかなり飲んでてさ。しのは自分やだんなさんや僕についてすごくネガティブな話をして(僕の将来についてはその前からネガティブだったけど・笑)、その暗闇も含めて僕はしのを抱きたいと思った。
僕が自分の感情に名前をつけられないでいるけどそれでいいんだ、とかさ。
翌日には忘れていたけど;。(いや、この理想論はたいてい隅に押しやられていたけれども)。


この夜のしのの喉の白さが印象に残っている。ベッドで、しのを省みたら苦しそうな表情でシーツを噛んでいて、苦しいんだろうか・・って不安になって、シーツを取り上げて声が聞こえるようにしたら、あえぎ声があふれてきたこととか。
あんまり呼吸が速いから、過呼吸になってるんじゃないかって心配して、酸素の供給を減らさなければ(笑)、って深くキスしたこととか。


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切ない気持ち [追想]

くろすけと会い始めていたころ、わたしは自分が既婚者だっていうことに引け目というか後ろめたさを感じていて、だから、くろすけが好きだといってくれなくても仕方が無いと思っていた。わたしは自分がくろすけを好きになっていたことは知っていて、自分が結婚をしていることにものすごく混乱をしていた。


そのときの自分の精神状態や気持ちを思い返すとそれだけでものすごく苦しくなる。


会うべきではない、好きになるべきではない、という倫理的な「べき」論と、それでもくろすけにまっすぐに向かっている自分の気持ちにうそをつくこともできなくて。


少なくともくろすけもわたしを好きだといってくれれば、少し気持ちが安らぐかもしれなのに、くろすけは


「すきとか、愛してるとか、客観的に意味が定義できない言葉を口にしても、責任が負えないから」


といっていってくれなかった。それにもかかわらず、雨の中をバイクに乗ってずぶぬれになりながら毎晩会いに来ていた。その状況がつらくてつらくて。会うたびに大量にお酒を飲んではからんでいた。


悦楽を知らずに経済的安定と社会的地位とを供給されていた「安全地帯」にいた自分には戻れない、と暗澹たる気持ちになってしまっていた。せめて、その日の夜も会いに来てくれるというくろすけの言葉だけが、救いだったように思う。やっぱり、言わないだけでわたしのことが好きなんじゃないかって。


そうしたら。昼過ぎにメールが来た。


「ここ数日の雨で靴がぬれたのでいけません」


メールを開いたとき、重く胸が沈んでいくのを感じた。世間から隔絶された結婚相手の世界の中に閉じ込められて自分の結婚相手だけを絶対として体を求められることを愛情と同等視していたあの場所にいた自分には戻れないにもかかわらず、これから自分が向かって行きたい相手は約束をしていたのに靴がぬれたと来ない。


やっぱり、自分は性欲の対象とはなりえても愛情の対象とはなりえないのだ、と予定調和的に今までの自分の過去にこれからを重ねていた。


それに、その人に向かって、既婚者であるわたしが要求をしてはいけないだろう、と思った。要求をしても、わたしは結婚をしていて彼女を恋人にすることはできないのだから。わたしは彼女に対してなんの権利も持っていないのだから。


そんなことはわかっていたのに、結婚の安定だけでも確保すればよかったのに、いったいわたしはなにをしているんだろう、と自嘲した。でも、くろすけが好きで、それを抑えることも無視することもごまかすこともできずに。


その日、くろすけのブログに記事が上がった。雨も上がって、記事もあげられるのに、会いには来てくれないんだ。ははは。やっぱりね。うんうん。そんな気持ちでくろすけの記事を見ると、ファクシミリ/facimile、という英単語が読めなくて辞書で調べたら発音がわかった。人生は驚きで満ちている。と、明るく楽しげだ。


ああ、この人にとってはわたしのことなどどうでもいいんだ。わたしに会えないことなど、つらくもなく悲しくもなく、読めない英単語の発音がわかったことのほうが楽しいんだ。それで、そのうち、馬鹿な女がいて、おっぱいだけは大きくて、やり得だったと笑い話にされるのだろう。


そう思って、自嘲と怒りと自己嫌悪と絶望がない交ぜになって、仕返しをしてやろうという気持ちになった。どうせ、英語ができないんだからこんな単語は知らないだろうし読めないだろう。それで辞書で意味をひいて、がっくりすればいいんだ。


「じゃあ、d・・・・・・なんて単語は絶対に読めないね」


とコメントを残した。


翌日、わたしの体調は最悪で、わたしのブログの記事でそれを知ったくろすけは会いに来てくれた。メールでは楽しげに例の単語について冗談を書いていて。その楽しげな調子に、わたしはどんどん深く沈んでいった。


黄昏時、くろすけは来た。泣きはらした顔を見られたくなくて部屋を暗くしていた。だだっ広い部屋の中にくろすけは入ってきながら、


「コメント見てさ、単語が読めなくて、辞書で意味引いたら○○って意味でさ・・・」


と笑いながらわたしを抱きしめて


「ああ、もう、愛してるって思ったよ」


・・・信じられなくてくろすけの顔をじっと見た。くろすけは、自分でも思ってもいなかったのにそんな言葉が出てしまって、うろたえていた。あんなに客観的に定義できない言葉は使えないといっていたのに、そして言葉に対して常に注意深くコントロールをしてきたくろすけだったのに、あの瞬間、ぽろっと言葉がこぼれてしまって。


 


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今になって書いているので、なんとなく自分の気持ちが整理されてるけど、そのときはもうめちゃくちゃでした。なんにもわからなくなっていて、くろすけが好きということだけがわかっていて、その情けない17歳のおばかさんのような自分にあきれて、大人の分別を無理やりつけようとしたり。


くろすけは誠実な人です。だから、彼女の誠実さを信じていればよかったのに、それが信じられないばかりにたくさんひどいことを言ったなあ、と今になって反省しています。まあ、あのとき、そんな風に人の誠実さを信じられるくらい冷静であれたなら、自分の結婚の欺瞞にだって気がついていたと思うけど。そんなに賢い人じゃないので、ああいう風にじたばたとかっこ悪くいろいろ紆余曲折で泥沼をぼちゃぼちゃ歩いて、なんとか今の場所にたどり着けたからいいとしましょう。


でも、くろすけの誠実を信じていられれば、あの時あんな単語を書かなかったのに、とも思います。いまだにくろすけが愛しているといってくれるたびに、その単語が条件反射として脳裏に浮かんできてしまうという悲劇からわたしはいつになれば解放されるのでしょう。


自分で書いて読み返しても、なんだか感動のいい話なのに(わはは、自分で言うなって)、あの単語のせいで、あの単語のせいで・・・。ううう・・・。


書くことでそのころのことを整理したく思いました。長々と思い出話に付き合っていただいてありがとうございました。


 


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ありがとう [追想]


あれは、10月のはじめ。であって二度目に一緒にいたとき。




翌日、成田から発つことになっていたその日、用事があって出かけなければいけなかった。それで、くろすけがわたしに朝ごはんをつくってあげる、といって卵をゆで始めた。




しばらくしたら台所からくろすけが出てきて




「卵、割れちゃった…しのの朝ごはん…」




と、情けない声を出した。




お湯の中で卵は割れて、その割れ目から白身をほとんどすべて噴出していた。お見事、という感じ。




「沸騰したお湯に卵入れるんでしょ?」

「え…。水からゆでたほうが…」

「そうなんだ…しくしく。しのの朝ごはん…」




そうやってしょげてるくろすけがなんだかかわいくて、ちょこっとキスをした。ちょこっとだけ。出かけるので珍しく化粧をして口紅を塗っていたので。


待ち合わせ [追想]


僕は普段ほとんど公共交通機関というものを使わない。繁華街を出歩くこともあまりない。

東京に住んでもう二十数年になるにもかかわらず、新宿駅で友人と待ち合わせるときに「ハチ公前でいいかな?」というと、本気で云っていると思われるほど。




そんな僕が、今年の初めにしのと新宿駅で待ち合わせをした。




しのは他の友人と会う約束をしていて、新宿駅で待ち合わせるのにどこがいいか、と聞くので、南口の改札の花屋の前しか僕は知らない、というと、花屋なんてわからない・・といって、しのはネットを使って待ち合わせ場所を探し始めた。それで結局「ルミネドトール前」で待ち合わせることにしたらしい。そして僕にもそこへこいという。

まあ不安はあるけれど、ルミネの中にはドトールが一軒しかないとしのが言い張るので、僕も子供じゃないんだし、なんとかなるだろう・・ということになった。




当日ネットでそのドトールの場所を調べようとすると、新宿駅にはルミネとルミネ2があるらしい。激しく不安になりながらも、まあ南口近辺らしいので、頑張ることにする。というか、しのも僕も携帯電話を持っていないので、そこに行くしか道は残されていないし・・。

バイクで新宿駅へ到着すると、南口の前は工事中でバイクを止められない状態になっている。またもやつのる不安・・。結局東口へバイクをとめ、迷いながらなんとか南口へはたどりついた。しかしどちらのルミネを探してもドトールがない・・。時間はどんどん過ぎていく・・。東口のルミネ?を探してもドトールがない・・。警備員さんに聞くと、インフォメーションカウンターへ案内された。そこで、ルミネ内ではなくて南口にあるドトールのことじゃないかといわれ、しのをうらみつつ今度は南口をうろうろする。外を歩いても中を歩いてもやっぱりドトールはない・・。まさか京王線の方なのだろうか・・いやしかし・・・。泣きそうになりながら、駅員さんに聞いてみよう・・と思って改札口をみると、改札口の中で

しのが飛び跳ねている。




ああ、遅いから電車で帰ろうとしてたのかな・・と思いつつ、改札ごしに近寄ると




「ごめん、ドトール改札の中だったのー」




・・・・・うぇーん・・・。






ということがありました。

しのが日本で暮らすようになったら、携帯持たせるんだ・・・。


かえってきた・・ [追想]


日本についたら細かい雨が降っていてね

バイクをとめてある駐車場まで歩く道でナメクジを気にしながら歩いてしまうこととか

電源を切っていった冷蔵庫の中の常温のビールがおいしいこととか

インスタントラーメンに具が入ってないのがなんだか寂しいことなんかに気づいて

いろいろ懐かしく思い出してる。




また行くね。

近いうちに、きっと。


まつりばやし [追想]


喫茶店で仕事してたけど、だんだん妄想がとまらなくなって仕事にならなくなったので帰ってきた。笑




今日も近所で夏祭りをやってるよ。たこ焼き買ってきた。しのにも食べさせてあげたいな。

なんかね、一個400円だけど2個500円です、って、なんじゃそりゃーっていう値段をふっかけ?られたんだけど、でも一人暮らしだし・・・と思って、




うーん、うーん・・・

・・・・・・

・・・一個で・・




っていったんだけど、言ったあとに、やっぱり2個で500円はお得だよなー・・、うーん・・うーーん・・・




・・・やっぱり二個ください・・




っていって二個買ってきた。笑

まあ、死ぬほどたこ焼き食べるのも幸せかなって。<いま食べてる・笑




お好み焼きも、焼きそばも、いか焼きも、おえかきせんべいもあったよ。

焼き鳥も。




しのがいたら食い倒れツアーだったな。




湯島天神の梅を見に行ったときに、屋台をみながらふたりでそわそわしたこととか(甘酒と梅干屋さんしか開いてなくて幸いだったよね。しっかり両方買ってるし。笑)、太鼓の音が聞こえてきたときのしのの興奮具合が思い出されて、にやにやお店をながめてきた。


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