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教育の現場と教師のセクシュアリティー [ちょっとまじめに]

nurekobutaさんのこちらの記事へのコメントです。ながくなったのでこちらにあげました。


同性愛者が教育の現場にかかわっていたらどうであるか。そのときに自分の性的指向について公にすべきかどうか。


これは難しい問題ですね・・・。


欧米のほとんどの国では小児性愛関連の犯罪を犯した人は警察に登録されていて、そこに登録されてしまうと公共サービスや教育関係の仕事にはつけなくなってます。なので、同性愛者であっても問題はない・・・異性愛者の男性が女子高の教師になるのは問題かな、というのと同じレベルの問題しかないことになります。


息子がもっと小さかったとき(小学校)は男性教師でも女性教師でも特に違いは感じませんでした。


しかし、中学校に入ってからは少し違います。女の子の保護者は女性教師のときには、「この人は男性ではないので自分の娘に性的興味や恋愛感情を持たない」という安心感があるのだと思うのです。わたしには息子がいますが男性教師に対して同じように感じます。こういう感覚は、すべての人が異性愛者であるという間違った前提によってもたらされる感覚であるとは認識しています。逆に自分の子供がその先生に恋愛感情や性的感情を抱くことももちろん考えています(こっちのほうがリアルな心配かもしれません)。実際、教師と生徒の恋愛とかあるわけだし。ただし、これはあくまでもぼやーっと感じている可能性であって、危機感とかそんなのではありません。


そのときに、その教師が同性愛者だったらやはり感覚は少し違ってくると思います。これは、同性愛者が性犯罪者だからではなく、自分の子供(現時点ではヘテロと仮定しています)が同性愛者の先生の恋愛や性的興味の対象になりえる可能性を頭の隅においているからだと思います。なんというか、対象が増えたな、って感じ? でも、危機感というのはありません。


今、息子が通っている学校は非常にオープンで、先生達はカミングアウトはしていませんが、自分のセクシュアリティーを隠してもいません。何人かの先生は同性愛者です。そういうことを知ってしまえば、「ああ、そうなの?」で終わりです。特にそれについて問題だとは思っていませんし、保護者に伝えろ、とも感じませんでした。逆にそういうことを知らなくても、小児性愛犯罪者が教師や学校のスタッフにいないことがわかっているので、やはり問題にはしていなかったと思います。


この場合、「隠している」ということがわかってしまったことが保護者の側からすると問題なのでしょう。「嘘をつかれた」、または「隠しているのは悪いことだからだ」というように感じたのかなあと思います。


しかし、オープンに日常の中でセクシュアリティーを語れるような文化や情況がなく、カミングアウトのような非日常のイベントとしてしか同性愛を語れない社会において、同性愛者に性的指向を隠すなというのは多数派の暴力であると感じます。同性愛は犯罪ではないのですから、自分に対して不利な状況を招くような場合には隠しておいても問題はないはずです。ことに小児性愛犯罪者と混同されているような状況においては。


わたしは、サッカーをしている男の子のお母さんにコーチのセクシュアリティーを告げた学校の先生の態度が問題だと思います。人のプライバシーをその人の許可もなく勝手に第三者に伝えるのはどうかと思うのです。もし、この教師がコーチのセクシュアリティーをうわさで聞いていただけならなおさらです。


日本の場合、同性愛者であることをオープンにするかどうか以前の問題で、小児性愛犯罪者が教育や公共のサービスの仕事に就けないように法制度を整えるのが先だと思うのです。


***********************
と、ここまで書いてきましたが、これは日常の教育現場における場合を想定しています。キャンプや修学旅行の引率で同じ部屋に寝る・・・というと、これまた、ちょっと違ってくるような気がします。

これを書いていて、ふと思ったことがあります。

同性愛者が温泉や銭湯に入ることです。そりゃ、わたしだってくろすけ以外の女性には興味がありません。だから、いいじゃん、って思ったりもします。でも、異性愛者の男の人が、「僕はあなたには興味ないから。恋人にしか興味ないから」と言って一緒に入ってきたらやはりとてもいやだと思うのです。もちろん、女風呂に女性の同性愛者が女性の異性愛者と一緒に風呂に入ることと、混浴(?)は同列には語れないと思います。このあたり、わたしは自分の中では解決策が見出せずにいます。とても目が悪いので風呂の中では何も見えていない、というのを今のところ自分の免罪符としています。

そして、今でも、もしわたしが教える立場に立っていたら。自分のセクシュアリティーについてオープンになれるようであればそうしていたと思いますが、オープンになれないような状況に置かれていたら、悩んでしまって結局はやめていたのではないかな、と思います。わたしが異性愛者であるという前提で子供を預けて信頼をしていただくときに、自分は実は同性愛者であるという事実を言わないことが不誠実であるかのように感じるからです。


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adejyo

人の親になったことはないので、この問題一側面からしか見られないのが悲しいです。

前にどこかのサイトで、「子供の教育に悪いから同性愛というカテゴリーを排除したい」という公言、そしてそれに同意している人たちのブログを見ました。
マイノリティだから排除する、まさしく日本の悪いカルチャーです。
正直胸が悪くなりました・・・日本ってまだまだ狭いなぁ~以上の不快感。
自分がゲイだからそう感じたのか?それともストレートだとしてもそう感じられるのか?
どちらにしろ、自分に子供がいたとしたら、
そんな器の小さな人間に子供を育てたくはないと思います。
もちろん精一杯守ることを前提としてですが。

子供を持つ友人に聞いてみたいと思います。
将来自分の子供が大きくなったときに、自分のことをどう話すのか。
どう答えをだしてくれるのか、少し怖いですね。

>児性愛犯罪者が教育や公共のサービスの仕事に就けないように法制度を整える
これは人権うんぬんよりも、ホントに早く施行してしまってほしいです。
何かが起きてからでは遅いのですから。
by adejyo (2007-08-09 08:09) 

くろすけ

僕は親の気持ちにはなれないけど。

まず、自分がどうするかってことでいえば、僕だったら隠さないし、わざわざいいもしないよ(惚気ていっちゃうかも・笑;)。それが理由で子供が傷つくとしたら、そこまではこっちには責任負えないって思う。教員って別に、聖者じゃないしね。
子供に手を出したら、それは犯罪なわけで、それはルールにのっとって警察なり学校なりが裁けばいいことで。
親としてはそういう犯罪の被害者になる可能性を未然に防ぎたいわけだから、この場合は無責任に不正確な言い方をした教員のほうが責められるべきだと思う。
隠されててショックっていうのは、憧れてた音楽の先生がさえない担任と結婚してショックを受けて大人はもう信じない!っていうのと同じレベルな気がするよ。

温泉については、僕はほかの人が入ってるときには基本的に入れないんですけど・・。男の人が一緒に入ってきたらすごい嫌だよなー。でも賑やかな女の子が入ってきても嫌で、嫌さとしては同じくらいかも・・。どっちも頭洗ってる隙に出てくると思う。笑
by くろすけ (2007-08-09 16:28) 

いるか

こんにちは。
私も保護者に告げた担任の先生に問題があると思います。これでは同性愛者の方が隙あらばだれかれかまわず手を出すみたいな印象を受けます。そうではないですよね。普通に接しするのがいいと思いますが。
温泉の場合、個人的には同性愛者と一緒に入ってもいいですよ。同性ならば。
それから
「子供の教育に悪いから同性愛というカテゴリーを排除したい」
この発言もいただけないですね。
世の中にはいろんな人たちがいるということを、知っておいたほうがいい。
もし、自分の子どもが同性を好きになってしまったら。私としては、その人の性別より、どういう人間かということを基準に判断したいと思います。
長々とすいません。
by いるか (2007-08-10 21:06) 

しの

> adejyoさん

どこの国でも同じもので、同性愛者の権利の擁護が進んでいるヨーロッパにおいても、同性愛者の権利を剥奪したい宗教団体や右翼がお互いの今までのいがみ合いを乗り越えて連帯したりしている現実があります。同性愛のなにを持って「子供の教育に悪い」とするのが不思議です。でも、たとえばプライドパレードなどでゲイたち自身が自分達の「文化」としてドラァグを中心に見せていること、なんかもその一端をかついでいるのではないかと思います。ゲイ=性風俗=性犯罪・性の乱れ=不道徳という間違った思い込みを助長しているのではないかと。

子供を守る、ということはどういうことなのかなあ、とときどき考えます。座敷牢に閉じ込めて世間の風に当てないようにしても仕方がないし。今は、とにかく、子供が遭遇するであろうありとあらゆる可能性を現実的に起こりうるという前提で、リスクを予想しておき、そういう事態が起きたら冷静にすばやく対処ができるようになっておくことだろうと考えています。これは、年齢によってかわってくると思うけど。なので、わたしの場合、学校の先生との恋愛関係がありえる、というのもその可能性の一部です。その際に、その相手は同性の先生かもしれない、ということも考えているわけです。でも、だからと言って先生がセクシュアリティーを明らかにする必要はないと思います。単にわたしの側の「備えあれば憂いなし」です。

自分のことをどう話すのかは難しいです。性に関する話やセクシュアリティーに関する話を子供とするということは、親という封建的に上に立つ立場から降りて、対等な人間となることですから。話せるかどうか、というよりも、そちらのほうが難しい場合が多いのではないかな・・・なんて思っています。

とにかく、日本の法律は子供を守れていないです。子供に対する虐待(ことに性的搾取)に関してもっとしっかりと取り組んでもらいたいです。憲法なんて改正してる場合じゃないですよ。
by しの (2007-08-10 22:49) 

しの

> くろすけ

教員が同性愛者でも子供って傷つかないよねえ。だって性的虐待を加えてるわけじゃないんだから。くろすけのいうとおり、子供に手を出すのは犯罪なんだからそれはそれできちんと裁けばいいんだよね。こんな風に私的欠席裁判を勝手にして、断罪するのはどうかと思うよ。

あの教師の発言はかなり無責任だよね。わたしはKABAちゃんって日本にいたときにTVで二回くらい見たんだけど、とても誠実でいい人みたいでした。だから、ああいう人が息子の先生ならうれしいと思うよ。それに、コーチだって隠してるわけじゃなくて言ってないだけなのに(この違いは大きい)、ああいう風に教師が発言したら「隠してる」みたいになっちゃうじゃん。あの教師は首じゃ。いったい何のつもりなんだろうね。実はこれ聞いて元夫とか彼のガールフレンドにされたことを思い出して、ものすごく怒ってるんですけど。

温泉はね、なんていうのかなあ。気にしない人もいるけれど、嫌な人もいるだろうと思うんだよね。同性愛者に対して誤解をしてるからじゃなくて、自分は誰の性的興味の対象にもならないって安心して裸になってるときに実は誰かの性的興味の対象になっているかもしれないことがいやって感じかな。
by しの (2007-08-10 22:50) 

しの

> いるかさん

いつもコメントありがとうございます。

この担任の先生、絶対に問題があると思います。「大丈夫ですか?」みたいな言い方は、暗に「大丈夫じゃないんです」って言ってるみたいなものですよね。コーチがコーチとしてきちんと仕事をされていて子供達からも信頼されているのであれば、セクシュアリティーは問題じゃないと思います。なんか、陰湿な陰口のようで感じが悪いです。わたしがこのお母さんだったら、この先生にがんがん言い返しているのに・・・残念です。

いるかさんのおっしゃるとおり、子供が同性を好きになったとしたら、という可能性を考えておくことは大事だと思うんです。そういうことになったら、その人の人となりで判断しようって自分がバカな行動をしないように準備ができるから。そして、それは子供に対しても同じだと思うんです。「あなたはもしかしたら同性を好きになるかもしれない。それは何もおかしなことではないんだよ」と親からも教育の現場でも教えてもらえれば、どれほどの子供が救われることでしょう。15歳から24歳の同性愛者の自殺率が同じグループの異性愛者の3倍にもなる(30%と10%)背景には、教育の現場から同性愛というカテゴリーが排除されているからではないかと思っています。

同性愛者がすきあらば手を出すとか、フリーセックス的であるという妙な誤解は、メディアやメディアに露出している同性愛者自身が作り出しているものかな、と思います。普通の人が出てくればいいのに。イアン・マッカラン(指輪物語でカンドルフをしていた俳優さんです)もゲイなのに。あんなに普通のおっさんなのに。そういえば、キーラ・ナイトリーって同性愛者なんですかね。「ガールフレンド」といちゃいちゃしてる写真がイギリスのゴシップ紙に掲載されていました。そうだとうれしいな、とか、わけのわからないことを言ってみたり(笑)。
by しの (2007-08-10 22:50) 

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