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ぼちぼち準備中 [ちょっとまじめに]

長々とお休みを頂いています。ゆっくりと通常に戻っていきたいです。とりあえず、お医者様と話をして、日本にいってゆっくりして帰って来てから投薬そのほかについてもう一度話し合うことにしました。わたしの現在の状況は「あれだけのトラウマ」を経験すれば「ごくごく予想される範囲内のリアクション」なのだそうです。この状況で投薬をすることに関しては、副作用とその効果のバランスを考えるとゼロサムになりそうな感じなので、それなら鍼や漢方や薬草などなどで現状を維持しましょう・・・ということになりました。去年と同じで、一旦、今いる状況を離れてくろすけのところで休めば、わたしの状況もかわるかもしれないし。

そういうわけでぼちぼち準備をしています。段ボール箱につめた荷物のほとんどが食料ってどういうことでしょうね(笑)。

さて。今話題のジョディー・フォスターの発言についてつらつらと考えて見ました。基本的に、異性愛VS同性愛という対立構造が嫌いな人なので、そういった立場からの解釈だと好意的に見ていただけるとうれしいです。



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ガーディアンの記事や、ブログで取り上げているのを見ていると、「ジョディーがカミングアウトした」というニュアンスでこのことが伝えられているのですが、わたしはそれにまず少々違和感を覚えました。ジョディーはその発言の中で自分のパートナーを「My beautiful Cydney」と言っているだけで、自分のセクシュアリティーについては一切言及していないんです。単に自分の愛している人(その人はたまたま女性だった)に「ありがとう」っていう感謝を受賞の際に口にしただけで(わたしが知っているかぎりでは。それとも、わたしは同性愛者ですっていう発言があったのかな???)。

なんで今までカミングアウトしなかったんだ、とか言われているけれど、「おとといきやがれ」って感じるのはわたしだけ? 自分のセクシュアリティーみたいなプライベートなことをなんでパブリックにせなあかんの? レズビアンのロールモデル? なんでわざわざ「レズビアン」のロールモデルが必要なの?

・・・などなど、考えつつ車を運転していました。それで、考え事に一番いいのは便所の中と移動中の乗り物の中、なんていいますが、ぴよっとこんな考えが浮かんできました。

もしかしたら、カミングアウトが問題となることが多いのは、わたし達の使っている言葉が性的にニュートラルじゃないからなのかなって。

わたし達の日常生活で使う言葉は基本的に「異性愛が当たり前」という本当はまったく当たり前じゃないことが前提になっています。なので、例えば女性に対しては

「旦那さんはいますか」
「彼氏はいますか」

という異性愛を前提とした言葉遣いをしますよね。

「パートナーはいますか?」
「恋人はいますか?」
「同居している人はいますか?」

という性的にニュートラルな言い方ではなくて。そして、異性愛を前提としてされた質問に対して同性愛者としては正直に答えられないので、「嘘」を交えた答えをすることになるんじゃないかな、と。そして、その嘘に対して罪悪感を持ってしまう・・・。でもでも、この場合、悪いのは異性愛が当たり前って言う間違った前提を持っている相手のほうですよね。

例えば、わたしが去年からかかわっているある仕事では、まずはじめにいわれることが性的にニュートラルな言葉遣いをしろ、ということなんです。相手に異性愛を前提とした言葉遣いをすると、もし仮に相手が同性愛者だった場合にいえないことがでてきてしまうかもしれないし、こちらが「異性愛が当たり前」という偏見を持っていると感じさせてしまうかもしれないから。そうでない場合でも、

「いいえ・・・あの、彼氏はいないのですが彼女がいます」

と、不必要なカミングアウトを相手に強要してしまう可能性があるから。

だから、もし、世の中には同性愛者もいるんだという意識を持って、性的にニュートラルな言葉遣いをするようになれば、少なくともそのレベルではカミングアウトとかしなくても自分のことについて話せるようになるんじゃないかなあ、なんて思っていました。これはあくまでも「会話」というレベルでのことであって、包括的な日常生活の問題解決にはなりませんが。

そして、質問に対して、「ええ、恋人がいます」と性的にニュートラルな言葉遣いで答えるか、「ええ、彼女がいるんです」と答えるかは、答える本人が決めればいいことで。そして、後者がカミングアウトなのか、単にそういう言葉遣いをしたのかも本人にしかわからないことだと思うしね。

だから、ジョディーの発言は、自分の愛する人の名前をみんなの前で言って感謝をしてその人への愛を表現しただけだとわたしは思っています。なのにそれをカミングアウトだと決め付けるのはホモフォビアなんじゃないの? それにジョディーをレズビアンだからレズビアンのロールモデルになって、なんていうのもホモフォビアの裏返しだと感じちゃうんですよね。別にレズビアンがチャーチルをロールモデルにしたっていいと思うよ(それはそれでなんか問題がありそうな気がするけどさー)。そういう意味でも、わたしはこのジョディーの発言は異性愛者も同性愛者も持っている排他的ホモフォビアとその裏返しの構造に対してノンシャランな素敵な態度だと思っています。

だってさ、愛しているのは「女性」という性ではなくて、その人なんだもん。わたしが好きなのはくろすけであって、女の人じゃないんだもん。現状ではわたしは同性愛者だけど、それはあくまでもテンポラリーなものであって、自分の絶対的なコンディションじゃないんだもん。わたしの愛している人、くろすけによって規定されているコンディションなんです。だから、わたしにとっては、セクシュアリティーを絶対のコンディションとして行われるカミングアウトは無意味なんです。くろすけが好きで、そのことを隠さないオープンな状態は意味があるけれど。

あら? なんか、なにが言いたいのかよくわからない文章になってきたわ。ついでに最後に、つけたししておこうかな。


自分の仕事やキャリアに影響がでる場合、セクシュアリティーをクローゼットにするのは当たり前です。誰にも迷惑をかけないんだからセクシュアリティーは言う必要なんかありません。クローゼットは権利なのだ。


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くまろん

そうですね、私もジョディーの発言には???でした。
「どこにも同性愛者です」なんてコメントがないのになんで???
と感じました。
私は結果的に異性愛者ですけど、同性愛者だからって騒ぎ立てるのもおかしい話だな、と思います。
だってそういう嗜好ってもっと自由なもののはずじゃないのかな。
種として異性愛者であるべきだというカトリックの思想に振り回されているだけのように感じます。。。
by くまろん (2007-12-16 14:42) 

綾

わーぃ、わーぃ、しのさんだ♪
(…すみません、まじめなお話におちゃらけた書き出しで。)

しのさんのエントリーで、ハッとさせられました。
どこもかしこも「ジョディーがカムした!」と解釈されていて
それについて純粋に「そうなのね♪」と喜んでいた私です。

ホモフォビアなり、何なりについて
言葉の理解は出来ていても、正直、どういったものになるのか、
私は理解できていないのだと思いました。

今、「教育」という現場に出入りするようになり、(教員ではないです)
相手がどのような立場であるのか、ということをしっかり認識した上で
接していく必要があるにも関わらず、意識の基準が低かったと
反省しています。

『多様性』(…と言ってもいいのかな?)をもっと認識して
思い込みがいかに危険なことであるか、改めて思いました。

エントリーについて…ではなく、単に自分の決意を書いたものに
なってしまいました。すみません。

もうすぐ日本にいらっしゃるんですね♪
また、くろすけさんとの幸せな時間を堪能してください。
いつか、しのさん&くろすけさんにお会いしてみたいな~と
思ったりしています。
by 綾 (2007-12-16 16:29) 

しの

> くまろんさん

あのスピーチの動画をYouTubeで見たのですが、自分のエージェントやそういう人たちにお礼を言って、最後に自分のパートナーにお礼を言って、というごくごく当たり前の受賞スピーチでした。ああいう場所で自分のパートナーに感謝を言うのは欧米ではごく普通のことだし。だから、くまろんさんのおっしゃるとおり、同性愛だからとか騒がないで、当たり前のことを当たり前にしただけなんですよね。なのに、それが同性愛者だと「カミングアウト」とか「タブーを破った」とか異常なことのように騒ぐのは変ですよね・・・。

そういえば、偶然に佐野洋子(百万回死んだ猫の作者です)がエッセイで

…世の中で人が自分のものでありながらあからさまに口にしないのが自分の貯金額で、もう一つは自分の愛の生活だと思う。ベラベラしゃべる奴がいたら少し変な奴で、絶対に馬鹿にされる。遠回しに言ったけど「愛の生活」ってセックスライフのことである。

と書いているのを見て、深く同意をしてしまいました。こういう意味において、カミングアウトって(以前にくろすけが書いたのですが)、自分のセックスの話をすることにつながりますよね。「わたしは女が好き」「わたしは男が好き」みたいな。異性愛者がそういうことをしないにもかかわらず、なぜか同性愛者がカミングアウトをすることが正しいことのように言われている今日この頃、実は、このカミングアウトという行為自体が同性愛者=セックスの乱れっていう思い込みにつながるのではなんて感じています。

そういう意味で、わたしは自分が愛しているのはくろすけであることを隠さない、でも同性愛者であると特に主張もしない、というオープンな感じでいきたいな、と思っています。そういう点でジョディーの行動には共感してるんですよ。
by しの (2007-12-29 19:44) 

しの

> 綾さん

はーい。しのです。まだ文章を書くのが怖いんだけど、ちょこっと書いてみました。それでやっぱり下書きに戻したりして、うろうろしてしまいました(笑)。

ホモフォビアって誰の中にもあると思うんです。人種差別や男女差別、そういうものも誰でも持っているように。そういうものからまったく自由にはなれないと思うのです。だから、できることは、自分がいましている発言はどういう前提条件でしているのかなーって常に自分を客観的に見ようとすることでしょうか・・・。自分の中にホモフォビアがあることを認めることが前提なんだと思っています。

わたしも自分では今までしてきていたいろんな仕事や勉強を通して、自分は偏見の少ない人間だとちょっと優越感を持っていたんですよ。でも、去年からかかわっている仕事でトレーニングを受けていたときに、性的にニュートラルな言葉遣いについて注意を受けたとき、自分の思い上がりに凹みました。でも、あそこで凹んでおいてよかったと思っています。でないと、とんでもない思い上がり人間に成り下がっていたと思うので。

同じ同性愛者でも多種多様であってひとくくりにはできないし、同性愛者というだけで「仲間」であるとか「同じ立場に立つんだ」とか思い込んではいけないなあ、なんて思っています。まあ、ジョディーのような有名人が同性愛者であるという事実が公になると、イメージとして受け入れられやすくなる、など、大局的にいい部分もあるとは思うのです。でも、とりあえず、自分の権利は自分で守らないと駄目だろうし。かくしもしなければカミングアウトもしない、という今の自分のスタンスをとりあえずは守ろうと思っている今日この頃です。
by しの (2007-12-29 19:45) 

asami

しのさんが中盤でとりあげていた性的にニュートラルな言葉遣いにハッとさせられました。
まだまだだなぁ・・・ってちょっと落ち込みました。性別なんていらない!って思いながら、ぜんぜんなってないじゃん。ってね。


ほんとうは、そういうカムとかをさらりと流せるような、ひろい心と知識をみんなが持ちあわせていればいいんだけどね。
フルカムの人の話を聞いたとき、周りの人たちに恵まれていたと振り返っていらして。それが理想なのかな?でも、オープンになれないやと思って。
性癖まで追求されたら・・・とか、どうしても思ってしまいます。うーむ。
by asami (2007-12-31 15:45) 

しの

> asamiさん

言葉遣いとか日常生活のなかのことって、それが当たり前になっているのでなかなか気がつかないまま・・・ってことは多いですよね。なので、このトレーニングは本当に貴重な体験でした。でも、ほら、気がついて落ち込むくらいでいいんですよ。認めない人だっているんだから・・・。

日常生活でしっかりとカミングアウトできるのは、確かに周りに恵まれていないと無理かもですね・・・わたしも周りに恵まれているので、まったくかくす必要がない感じです。

周りに理解がないときにセクシュアリティーを明らかにしたりすると、興味本位の質問をされたりして不愉快になったりするしね・・・そういう思いはする必要もないし。理想と現実は違うものだからしかたないですよね。
by しの (2008-01-02 22:14) 

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