SSブログ

息子さんと僕との関係

僕が前回しののところへ行ったとき、息子さんは毎週末しのの家に泊まりに来ていた。
僕の日程が決まってから、しのはだんなさんにその週末は息子さんをあずかれない、と言った。だんなさんは、週末は彼女が来るので息子さんをあずかってくれないと困る、と返事をしたらしい。
僕は、それはまずいんじゃないか、恋人が来るからあずかれないっていうのは、息子さんが親の愛情を疑ってしまうんじゃないのか、としのにいって、結局その週末は息子さんやらしのの友達やらを呼んでキャンプファイヤーをすることにしたことがある。しのはそのとき、僕はすごく自己中心的だけど、ちゃんと息子さんのこと考えてくれるんだ、と喜んでくれた。
(子供より恋人が大事なのは親として健全なあり方だと僕は思っている。ただ、それを子供に明示的には示さないほうがいい、とも思っている。)


僕は僕の視点でしか物事を見ることはできない。それは他のひとの立場に立つことを拒否しているわけではなくて、どんなにそのひとの立場に立ったつもりでもそれは自分の視点でしかないと思っているから。


それで、親とその恋人と雑魚寝をするっていうことについては、いくら考えても一生抱えるトラウマになるとは思えない。ただ、だからといって絶対雑魚寝をすべきだといっているわけではなくて、最悪それでいいじゃないか、という気持ち。


僕はしのの息子さんを自分の子供のようには扱えないし、子供扱いだってする気はない。一個の人間として、大好きなしのの子供として、僕も関係を大事にしたいとは思っているけど。
(大体、日本だったら春先から中学二年生で、子供だと思っているのは大人だけじゃないのか、とも思っている。そういうとしのは自分がそうだったから他の人もそうあれって思う僕が傲慢だというけど。)


 


 


----------
いま、メールは着信拒否にして、メッセンジャーも削除するっていわれているので、このブログだけが連絡手段だったりします・・・。お互いかっとなって書いている部分もあると思うので、不快になられたらすいませんでした・・・。


nice!(0)  コメント(4) 

nice! 0

コメント 4

nurekobuta

しのさん、くろすけさん

第三者である私が気安くコメントするところではない気もしますが、この件についてレスを書いてらっしゃる方がいないので少しだけ。

私は子供がいないので子を思う親の気持ちは想像することしかできないのですが、親はいるので親を見る子供の立場と気持ちは(すごく一般化したものですが)多少はわかるような気がします。もし、自分の母親に同性の恋人がいるのだと、中学生のときに言われていたら...かなり衝撃を受けたのではないかと思います。それ以後、「同性愛」ということを自分の母親とその恋人のイメージと切り離しては考えられないだろうし、しのさんのお子さんみたいに「女同士でどうやってセックスするのか」と聞く勇気も持たなかったんじゃないかと思います。もし、親の恋人の裸を見て自分がドキドキするなんてことがあれば、自分とは異性である親がその人に体に触れてセックスをしてるんだという事実を消化できず、ドキドキする自分に対する嫌悪感でいっぱいになるような気もします。前にどこかでしのさんが、息子さんを育てるときにホモフォビアを持たないように気をつけてきた、って書かれていましたが、親の新しい恋人が同性であるってことはホモフォビアとは別の次元で、(特に思春期の場合)子ども自身の未熟なセクシャリティを時に残酷な形で審判にかけるようなこともあるのではないでしょうか。

そうはいっても、好きになってしまったのなら仕方がないし、それによって生まれる子供の悩みやトラウマはある程度までは本人が処理せざるを得ないとも思います(必ずしも親が処理してあげられるようなことでもないでしょうし)。ただ、私が子供の立場だったら、そういう思いを自分の中で処理していくためには、親が何か「確かなもの」を示してそれを下支えしてくれる必要があるように思います。親から自分への愛情の量や質が何も変わっていないという確信だとか、その愛情について親の恋人がどう思っているのかっていう理解だとか、自分がその恋人に対してどういう接し方をしていくのかを試行錯誤できるような空間的・時間的マージンというか、breathing spaceというか、そんなものだとか。

なんだかいろいろ偉そうなことを書いてますが...(--;; 子供の時に感じたことや考えたことって、大人になってから感じたことよりもずっと取り返しがつかずに深く刻まれて、人格形成に直結するもののような気がします。だからこそ、しのさんが息子さんを大切に思う気持ちと、くろすけさんが大切な人の子供を大切に思う気持ちが、一つに重なればいいなぁって思いました。

ちなみに。↑のくろすけさんの文章の中で「子供より恋人が大事なのは親として健全なあり方」という点と「春先から中学二年生で、子供だと思っているのは大人だけじゃないのか」という点には、ちょっとビックリしました。私が育った環境等の影響もあるんでしょうが、私は「恋人よりも自分の親よりも、子供が大事なのが人として健全なありかた」だと考えます。健全っていうのはちょっと語弊があるかもしれませんが。そして中学2年生のとき、私は自分が子供だという自覚でいたし、性急に大人になることを求められない環境にいたことを「恵まれている」と感じていました。おっしゃるとおり、本当の意味で他人の視点に立つことはできませんが、私みたいなのもいるのだということで...。
by nurekobuta (2007-02-22 03:03) 

くろすけ

濡れコブタさん、子供をそれまで取り巻いていた環境が変わったときに、足場(親からの愛情とかルーツみたいなもの?)が変わっていないことを明示的に示してあげる必要があるのはわかります。だから、しのが息子さんが独立するまで国を離れないことも必要だと思うし、その点では僕としののベクトルはおそらく一致しているんだろうと思う。

コメントを読んでいていろいろ考えたのですが、僕は当然昔は子供だったんですが、「物心のついている子供」という時期がなかったんじゃないかと。それでそれは、9歳か10歳のときに父親がサラリーマンをやめて会社を立ち上げて、大人の世界を身近に見ていたせいかな、とか考えています。だから、記憶の残っている小学校の後ろ半分には、周りの大人(お客さんとか先生とか)と自分の中身に差が無いと思ってました。知識に差はあっても。そんな背景で、もし中学のときにどちらかの親がゲイだったといわれても、それは親のこととして受け入れていたと思います。実際母親が家出をしたときにも、出て行かないでとは思わず、母親の生き方を尊重したいと思っていましたし。(すぐに父親が追いかけて連れ戻って来ましたが・・;)。

それで、僕の小学校5年生くらいから周りの友達が就職するくらいまでの期間は周囲に自分を大人だと認めさせるための闘いだったんですよね。それで、親の求める子供像と僕の間で乖離が起きたときに、親に一般常識とかひとの道だとかそんな言葉で責められていたので、親のエゴに対してドライというか、依存関係に対する拒絶反応みたいなものがあります。親も子供も自立した状態が健全なんじゃないかと。そういう考え方です。もちろんみんながみんなそういう思考じゃないのはわかってますし、こうやって書いていても、自分って不健全かも・・とかなりブルーになってます。まあ、自分でもこの思想で子供を持つのはイカンと思って、中学か高校のときに子供は産まないことに決めたのですが。

しのは対親に関しては僕の考え方と近い(と思う・・)ので、それで、どこにいても周囲からの疎外感を感じていた僕がはじめて受け入れられたと感じられたのかな、とか。結局受け入れらてなかったのかな、とか(そうだとしてもしのを好きな気持ちには変わりないけど)。でもしのがこういう有害思想を息子さんに触れさせたくないならしののところに行かないほうがいいんだろうか、とか。そうやって問題を先延ばししたって解決しないんじゃないか、とか。ぐるぐる考えています。実際のところ、しのは僕が息子さんの前で「正しい大人」であることを求めているんだろうかとか・・。


濡れコブタさん的考え方は非常に参考になりました。僕には本当にわからないので・・・。
どうもありがとうございました。
by くろすけ (2007-02-22 05:47) 

しの

コメントありがとうございます。

>濡れコブタさん

たぶん、女の子と男の子では性に対する関心のあり方や、性欲がどのようにして子供の感情を支配するかがかなり違うと思うんです。そして、経験上、男の子のほうが肉体的にわかりやすい形で出てくる分、性欲というものに深く悩むことが多いように感じています。これはわたしの偏見かもしれないけど。

性欲というものが自分を支配しがちな年齢だけにその取り扱いには細心の注意を払ってあげたいのです。

母親が離婚した、同性愛者だった、ということによって受けるトラウマはこれは自分で何とかしてもらわないとどうしようもありません。息子のトラウマを避けるために自分を犠牲にするわけにはいかないので。そして、この辺のことについては、今のわたしが結婚中よりもはるかに幸せにしていて、息子との関係も非常に良好であることなんかで軽減できるんじゃないかと思っています。また、その中には息子とくろすけを会わせることも含んでいます。

そういう意味で、今回くろすけが2ヶ月来るのはわたしにとってもとてもうれしいことであるし、息子にとっても去年の半ばから急激に訪れた自分の生活の変化を受け止めるいい機会になるのではと考えていました。

でも、性的なトラウマは別ですよね…。

そして、わたしは自分の教えた経験を通して、子供たちがやたらと早く大人になることを強要されている社会に疑問を覚えているのです。くろすけみたいに、自分でさっさと成長してしまう子供もいました。そして息子の場合、飄々としつつ自分の場所からゆっくりと周りを見渡し、自分がどうすべきかをものすごくゆっくりゆっくり考えているという印象をわたしは受けているのです。この、自分の場所で自分のこれからをゆっくりゆっくりと考えることができる守られた状態が息子にとっての子供時代だと思っています。自分のセクシュアリティーも含めて試行錯誤しながらゆっくり育っていくときに、ある種のトラウマからは守ってあげたいと思うのです。

そのどこからどこまで守るか否かという線引きで齟齬があるような気がしています。

恋人か子供かについては記事を上げたいと思っています。

コメントありがとうございました。


>くろすけ

有害思想とか不健全だとかは思っていません。ただ、くろすけというのはひとつのユニークな経験であって、そこから導き出されるルールがほかの子供にも当てはまることはない、と思っています。

わたしはくろすけの考え方や、生きていくうえでの基盤となる考え方に関してはそのままでいいと思うし、それが有害だとも思わない。でも、くろすけが、自分がそうであったから、というのを理由にしてわたしを過保護だといったり、くろすけ観点からすると「めそめそ」している子供に対して断罪を下すような発言をするのに関しては、傲慢だと思う。受け入れていないのはくろすけのほうではないの?

正しい大人であることなんて、なにがそうなのかもわからないし、いったいそんなものがあるのかだってわからない。でも、息子にとってよりよい接し方とかがあると思う。そして、それについてはわたしはくろすけよりもよく知っていると思う(付き合ってる時間が長いし)。

わたしは息子に対してお前のためにしてやったなんていうつもりはないし、そんな風に思ってもらいたくもない。でも、息子に対して責任があるからそれを果たそうとしているだけだよ。それを、親のエゴだといって否定するくろすけのほうがわたしを受け入れていないのではないの?
by しの (2007-02-22 23:04) 

くろすけ

ほそく。
次の記事のsnowさんのコメントを読んで、確かに、恋人と子供を同じ次元で比べているわけではないな、と思いました。なんていうか、子供のために親が何かを犠牲にするのは長じて子供のためにならないのではないか、とか、そういう考え方です。
by くろすけ (2007-02-22 23:51) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。