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言葉をつくす [ちょっとまじめに]

相手をわかりたいし、わかってほしいから、とにかく言葉にする。
自分が傷ついたことや、相手を傷つけたことを言語化するのに痛みが伴わないわけではない。
だけど離れていて、言葉でしか相手に触れることができない以上、わかり合おうという意思を持って僕たちは会話を重ねてきた。


少なくともいままでは、些細なすれ違いや、お互いの愛情に対する自信のなさからくるいろいろはそれで解決してきた。



今回は、少し違うみたいだと感じている。僕がしののことをどんなに好きでも解決できない。この言葉の先は、両親の涙や、打たれた頬の熱さや、友人からの否定、僕の手にお金を握らせていった祖父の言葉・・といった苦い記憶しか知らない。それでもとにかく、こうすることでしか状況はかわらないので。



まず、子供と大人の中間状態について、
自分を13歳に立ち返らせて、相手と同じ状況にあることを想像することはできる。だけど、そのときの感情は「13歳の僕」でしかなくて「一般的な13歳」の思考は僕の中にはない。物心ついたときには周りの大人と対等だと感じていて、それを認めてもらうにはいろいろな依存を断ち切らなくてはいけないと思っていた。


性的なことについて、
僕は性的なことについて悩んだことがない。違う問題が心を占めていたからだろうと思う。だから13歳の子供がどれだけ性的なことに頭を占められているのか僕にはわからない。



わかろうとしないからだとしのはいう。
どうして「普通」そうだということがわからないのか、と。
そういう考え方をするひとがいることはわかるし、しのがそういう考え方だということはわかる。
どちらが正しいとかではなくて、ただ、違う考え方があるだけだと思っている(あるいはそう思いたい)。
そういう考え方を前提としたしのの息子さんへの接し方を邪魔するつもりもない。
いままでだってしのが自分の国に残ることをサポートしてきたし、協力も惜しんでいない。


ただ、「過保護だ」とか「そんなのわかんないよ」とか「雑魚寝だっていいじゃん」というような感情を口にしているだけなのだけど、それはいけないことなんだろうか。
それをやめていままでと同じ関係が築けるんだろうか。


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しの

くろすけは自分を受け入れて欲しいというほど、他者を受け入れないんだよ。自分がそうであったからそうでない他者に対して厳しい評価を下すんだよ。

わたしが息子のために良かれと思ってしてることを過保護だと断罪されるとわたしが拒絶されていると感じるとは思わないの? 過保護だ、という言葉は有無を言わせぬ絶対評価を下していることだとは思わない?

わからないのであれば、わたしがそういう事実があるのだといっているその事実を受け入れることがなぜできないの?

人の立場に立てないからわからないという前に、なぜ、そういう風に感じるかもしれない他者の存在を認めることができないの? そういう風に感じるのかって受け入れることができないの?
by しの (2007-02-22 23:20) 

くろすけ

存在はみとめているのに、それをみとめていないといわれる。堂々巡り。
僕がしののあり方を認めているっていうことが、しのは信じられないんだよね。
それで、しのがわかるためにはどうしたらいいのか、僕にはわからない。
わからないからといって考えることをやめはしないけど。
by くろすけ (2007-02-22 23:48) 

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