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バレンタインv [業務連絡]


しのからチョコレートをもらいました。
おっきいキスチョコv (手は大きさの参考用です・笑)

ずっしりと重くてしのの胸みたいです。
すりすりしたり、なめなめしたりしながら食べてます。

どうもありがとうv


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猫の足の裏。 [業務連絡]

↓の記事で猫の足の裏がすきと書いていますが、わたしが好きなのは



 



 


ここの毛ってほかの部分と違ってちょっとキシキシした感じで短く密生してるんですよね。ここをぐりぐりと陵辱するのが好きです。


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ふぇちバトン [プロフィール]

Nurekobuta with her girlの濡れコブタさんからバトンをいただきました。


フェチバトン。


いってみます。


①あなたはなにフェチ?

人に対しては特定の個人の特定の部位に惹かれることはありますが、不特定多数の人が共通して持っているある部分にフェティシズムを抱くことはないです。でも、惹かれる物はあります。アンティークの引き出しと椅子。あまり数は持っていないのですが、実はちょっと自慢できそうなものをいくつか持っています。


ええと・・しのの・・って書こうとしたら、固有名詞はフェチの対象として成立しない、としのに云われたので、うーむ・・・と考えてみました。
・・・すり抜け?



②好きな人を見るときはまずどこを見る?


目かな。でも、照れちゃうのですぐに目をそらしてしまいます。向こうが余所見をしているすきに横顔を盗み見たり。


いまは目ですね。昔は肩でした。はじめのころはいつも横向きに並んでいたので。



③なにフェチから好かれる?


おっぱいフェチ。うんざりですね。こういうからだの部分に引かれて、個人を非人称化するようなフェティシズム。こういう人から好かれるくらいなら、生ゴムフェチの人に好かれて、生ゴムレオタードを着てくれと頼まれるほうがましです。


あとは、ロリコン的傾向がある人からも好かれます。おっぱいの大きさと童顔のあたりがそういう方を刺激するようです。これも、女の子が馬鹿で自分の言いなりになると思っていて、そういう形で自分の権力を確認したい矮小な自意識が見えていて、うんざりします。


↑男性とお付き合いをしていたときのトラウマになっています。


しのに、何フェチ?って聞いたところ、猫の足の裏・・だそうです。あとは椅子と引き出し・・って。



④よく見る特別に思い入れのある人物のお気に入りの部位を5つ。


思い入れのある人物はもちろんくろすけです。ただ、遠距離なのでよく見ることがままならないのが残念。
大きな二重の目。だいすき。三白眼になると怖いです・・・。うぅ・・。
肩。よく見るのはくろすけの肩越しの風景。バイクの後ろに載せられているときに見ます。
耳。よく触っています。噛んだりもします。
顔。くろすけの顔はとても好きです。よく触ります。お風呂上りに化粧水を塗ってあげたりします。
手。ことに親指の下のぷっくらした部分を噛み噛みするのが大好き。いい歯ごたえで・・・。


しのが、僕の思い入れのある場所知ってる、って云うんですけど、あげさせてみたら・・お尻の穴・お尻・胸・足・クリトリス・・って、自分が責められて気持ちいいところじゃないかーっ、まったく、どんな野獣だと思われてるんだ・・。

というわけで、僕がお気に入りの部位は・・
ウエストから腰のライン:いくらみても飽きない。なでなでってしたい欲求を抑えつつじーっと眺めるのが好き。
肩:しろくてすいつくような肌・・。
足:つめを切ったりマニキュアを塗ったり、なめたりv
おなか:やわらかくてしろいおなかにぐりぐりーっと顔をうずめるのが気持ちいい。
前頭葉:しのの思考回路が好き。



⑤バトンを回す人


…ええと・・。


うん。


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晩御飯 [好き]


土曜日、くろすけは一日働いていて、何も食べていませんでした。食堂や売店に行けばいいのですが、寒いので外にでたくないといってひもじいままで我慢をしていました。そして、帰りに餃子を買って帰りました。たらの芽のてんぷらもです。




いいなー。いいなー。




うらやましいので、わたしも餃子を作ろうかと思ったのですが、皮からつくる気力はありません。そこで、今日の夜は息子も来ているし、ハンバーグにすることにしました。




豚ロース200gと牛背肉400g(うち200gのみ使用)を買ってきます。こちらには薄切りなんてものはなく、ステーキっぽく分厚く切ってあります。あわせて600円くらい。ひき肉は油が多いし、どこの部位か良くわからないので買いません。




にんにくをつぶし、しょうがをつぶし、たまねぎはめんどくさいのでフードプロセッサーに突っ込んでみじん切りに。そこに肉を適当な大きさに切って(筋や油は取り除いてあります)突っ込んで一気に混ぜ込みます。卵を足して、塩コショウ、スパイス。ボールに移して練り、1時間ほど休ませます。




丸めて焼いて。その間に練りゴマ、しょうゆ、バルサミコ酢、それぞれを大匙1を混ぜてたれをつくります。しかし、練りゴマが分離するので、練り梅を小さじ半分くらい加えます。梅干は乳化剤として非常にいいです。あっという間にきれいに混じります。ドレッシングにも練り梅を加えるときれいに乳化します。




温野菜とサラダ、おコメと一緒にいただきます。




焼いたあとのフライパンにはたれを入れて肉汁を混ぜ込んでもいいし、グレーヴィーにしてもいいです。個人的にはグレーヴィーにして全体にかけまわすのが好きです。




イングランドに留学していたとき、イングランドは飯がまずいと聞いていたのですが。お昼に大学のカフェテリアで大きなハムの塊をローストしたのを薄切りしてもらい、温野菜を添えて、その上からグレーヴィーをかけたのもが信じられないくらいおいしくて。それ以来グレーヴィーのファンです。




あー。こんな記事を書いていたら腹が減ってきた。


柳沢発言もあれだけどさ [ちょっとまじめに]


最近、YouTubeで「ごくせん」をみている。なかまゆきえ(漢字知らん)がけっこう好きなのです。目が大きい女の人が好き。映画「大奥」は最悪だったけど。




「ごくせん」が放映されていたとき、わたしは仕事上の関係で日本人の駐在員の子供たちといろいろと関係を持っていた。そのときの子供たちが面白いんだと大騒ぎをしていて、日本から彼らのじいちゃんやばあちゃんが録画をして送ってきてくれるビデオが引っ張りだこになっていた。貸してあげるといわれても、ビデオデッキを持っていなかったので、丁重にお断りをしていた。




たまたまYouTubeで見かけたので、閑だし、見てみた。




けっこう面白い。話は単純で、現実では絶対にこうはいかないと思うけれど、こういう「現代の御伽噺」を必要としているのだろうな、とぼんやり思う。人の善意が簡単に通る、思いやりとやさしさで問題が解決する、努力は必ず報いられる。そういう夢を必要としているほどなのかな・・・と曖昧に考えたりもする。




でも、気になるのは、ドラマ全体を貫くヘテロ思想だ。まあ、男子校が舞台なんだから、男子が女の子にあこがれるのはいいとして。その中に男にあこがれるゲイの生徒を入れろ、と要求することは、このドラマが架空の漫画的空間であることを考えればばかげた要求だとは思う。これは御伽噺なのだから。現実に即さない「理想」の空間なんだから、と思う。何もかもがスレテオタイプファイされてるのだし。




こういうドラマを作るなとか批判するくらいならば、自分の子供が見るときに一緒にみて、




「この学校の生徒が100人なら、本当は6人は同性愛の男の子がいるはずなんだけどね」




とか、恋人と一緒にみるときに




「こういう精神論って第二次世界大戦に突入していったときの軍部の思想に通じるよね」




とかいって、相手の楽しみを台無しにする楽しみを味わえばいいのだ(暗い?笑)。




でも、第8話を見て、ちょっとカチンと来た。







でてくる女性の先生のうちの一人、保険の先生は自分の夫と死に別れているのだけれど、その夫と先妻(この人も病死)の間の子供を1歳から6歳まで育てていた、という設定。その子供が彼女に会いに来て、お母さんと暮らしたい、とわがままを言うのだ。それで、




「母親だろ!」

「血がつながってなくったって、家族だろ!」




みたいな安易な議論で子供と一緒に暮らすことになっちゃう。こらいかんやろ、と思う。女だったら母親なのか。しかも、一緒に暮らすか祖父母が預かるかみたいな二者択一しかないのはなぜだ。




柳沢発言が問題になってるけど、あれは彼一人の意識じゃないと思う。社会の中に深く埋め込まれている意識・・・というか、女について話すと、「いずれは結婚、子供を生んで母親に」みたいな話しかできないようになっている言語に埋め込まれた社会意識が問題なんだと思う。だから、ドラマの中で




「一人の女だろ!」

「血がつながってない子のために自分の人生台無しにするのかよ!」




みたいなせりふはいえないんだろうな。ドラマ的リアリティーがなくて。




つい最近も、とある大人気ブログで「やっぱり女の子はやさしくて料理が上手であれば馬鹿でいい」というような表現を読んで一瞬スルーをしてしまった自分がいた。だって、日本語として自然なんだもん。「料理がへたで気が強くても頭のいい女の子が最高」って日本語として不自然だもん。




だから、柳沢発言についてがたがた言う前に、自分自身で息子と将来の漠然とした話をしているときに




「将来のパートナー、男でも女でもいいけど、『君のために・・・』みたいなことをいう人とは一緒になったらあかんでー」




なんて、不自然な言葉遣いをしてみるようにしている。そして、竹内マリアの「元気を出して」で「彼だけが男じゃないことに気づいて~♪」と歌われたときに、間髪をいれず




「男だけやないで~女もおるで~」




というくろすけが好きだな。

(って、最後はのろけで締めくくりです。笑)




声を聞かせてごらん♪ [かなりふまじめ]


今日の朝、くろすけは




「7時に起こしてね」




と、人を目覚まし代わりに使ったにもかかわらず(時差の関係で無理なくできるんだけど)、起きませんでした。2時間近く、一生懸命にメッセンジャーやスカイプや、ありとあらゆることをして起こそうとしても、起きない。




頭に来ました。ええ、怒ってますから。




くろすけが謝ってきたって、許しませんよ。はい。




スカイプ通話だってしませんから。




そして、かなりしてから起きたくろすけはぺこぺこ謝って、メールを送ってきたり、いろいろしています。しかし、許さん。話すのもしてあげないぞ。




く:「おねがいー、スカイプにしよ?」

し:「じゃあ、オナニーして声を聞かせてくれるんだったらしてあげる」

く:「・・・え、演技ならできるかも・・」




じゃあ、してもらおうじゃないか、ということで早速スカイプ通話。




く:「ほら、しの、なんか言って」

し:「う・・ぇぇぇ・・ええと・・」

く:「ほら」

し:「こ・・・腰の辺りをさわさわってしてあげる・・」

く:「ぁぁん・・」

し:「ええと・・もみもみ」(←マッサージかっ)

く:「・・・」

し:「終わり」

く:「ぇぇ・・もっとして」

し:「できない! うぇーん・・・」

(夕日に向かって走り去るしの)




というわけで、わたしには言葉責めはできんようです。


Openly gay [ちょっとまじめに]


下の記事でくろすけがカミングアウトについて話しているので、わたしも自分の立場をこの辺でちょっと書いておこうと思います。




わたしはカミングアウトはする必要はないと思っています。どうしてもしたい、自分が同性愛者だとわかっていただきたい、という強い欲求や、カミングアウトをする必要性が生じてきたのでなければ、いう必要はまったくないと。




わたしの場合は、息子にはきちんと話したかったので、話してあります。周りにははっきりいったのはボランティアに参加するときに、一応、話しておいたほうがいいかな、と思ったので話したくらいかな(ボランティアの性格上、話したほうがいいと判断したのです)。あとは、息子の学校の担任の先生に話しておきました。




学校の先生に関しては話すつもりはなかったんだけど、元夫がわたしのセクシュアリティーについて(それは人のセックスライフについてと同義語だと思います)言いふらしたので、もしかして息子の友達がそれを又聞きして悪意に解釈をしていじめに発展するかもしれない、と懸念したからです。幸い、そういうことはなく過ぎているようです。




それ以外だと話したのは、カウンセラーとかそういうケアの専門の人たち。




普段は特になにも言っていません。ただ、くろすけについて話すときに、わたしのガールフレンドが、と話しています。特に、わたしは同性愛者です、といったことはないような。そういう風に話していたら、そのうち周りは納得してくれるだろうと思っています。隠さないけど、宣言もしない。そういうOpenly Gayという状態がわたしの理想です。




この理想は、わたしの場合は意識的に決めたものであり、くろすけの場合は無意識的にそういう行動をとっているという違いはありますが、二人の間ではそういう合意ができていると思います。だからまあ、街中でもいちゃいちゃしてしまうのだが。自分たちが隠さなければいけないことをしているとは思っていないので。みられると恥ずかしいが。笑。




先日、親にはカミングアウトをしたのですが、それは離婚を説明する際にそのことに触れずに話すと、親から「やり直せ」「再婚しろ」などの変な圧力がかかるのがうっとうしかったので。また、離婚について説明するのもそれを避けて通るのはなんとなく正直ではないような気がしたので。それがなければ、いっていなかったと思います。また、親との関係がものすごく疎遠、というのもあります。だから、葛藤なく話せちゃうという感じです。




すでに両親にはくろすけは大事な友人だと話してあり、二人ともくろすけはほかの友達とは違うらしいという認識はあったようです。カミングアウトをしたとき、くろすけが相手なのかと尋ねられました。




くろすけもわたしも親に対してカミングアウトをするかしないかで悩まないひとつの大きな理由は経済的に完全に独立しているから、というのが大きな要素だと思います。たとえば、今、一緒に暮らしていない理由はわたしが息子のそばにいてあげたいし、くろすけも仕事の関係でそうそう簡単に日本を離れられないからです。




これらの理由がなくなればすぐに一緒に暮らすだろうし(どちらの国で、という問題が残りますが)、そのときには親には「一緒に暮らすから」と連絡をするだけだと思います。わたしは同性愛者です、だからこの女性と暮らします、とはいわないと思います。くろすけは大事な人で、一緒に暮らしたいから、というと思います。だって、もし、相手が異性だったら、わたしは異性愛者なので、この男性と暮らしますとはいわないから。




そのときに、親が怒ると悲しかったりするかもしれないけれど(わたしの場合は、Fuck offって思うだけだけど)、実際、自分の決断で自分のできる範囲でするので、親には阻止できないと思うんです。お金を出してもらうつもりはないから、親から許可をもらう必要もないし。どっちにしてもいい年した子供がどういう生活をするのかは子供の決断だと思うし。




親から許可が必要って思うのも、当たり前と思わないで、なんでかな、って自分に聞いてみるのって大事だと思うな。駆け落ちしたっていいじゃない。ほんとに好きなら。




そういう風にして、自分にとって大事な人だと親にわかってもらうのが一番いいんじゃないかな、とわたしは思っています。




特定の相手がいる上でのカミングアウトは、下の記事でくろすけが触れているとおり、「この人とセックスしています」という言葉とほぼ同義語ではないか、と思うのです。異性の相手を家に連れて行って、この人とセックスをしています、というと親はやっぱり衝撃を受けると思うんです。だからこそ、異性との関係の場合、付き合ってる、結婚したい、という言葉にくるんでお付き合いの性的側面を真綿で隠しているような気がします。




また、親としても、もちろんなんとなく気がついているとは思うんですよ。自分が親になってはじめてわかることですが、自分の子供のことって、とても良くわかります。もちろん、常識とか親の立場から見た幸福の形を子供に持ってほしいと思うから、そう簡単に「結婚しないの?」「孫の顔を見せてくれ」攻撃はやまないと思います。




だからといって、そこで、カミングアウトをしてはっきりとした言葉にしてしまうと、親もなんとなく受け入れていたことを、自分の持っている「常識」体系にそって言葉にしなければいけなくなるので、日本という社会が持っている言語形態に隠されている「倫理」「常識」に従って受け入れられなくなったり、反対したりしざるを得なくなるのかな、とか。




要するに、自分に正直にいきていく経済的基盤があればカミングアウトなんてとくにする必要はない、とわたしは思っているのです。




そういう意味で、経済的に親から独立した段階でくろすけを見つけたわたしはとても幸運だったといえると思います。くろすけは、高校生になったときから完全に経済的に独立しているので、親に対してのカミングアウトは必要ないと感じているのだと思います。




しかし、こういう考え方を貫けるのは、二人ともかなり好き勝手に生きている人間であることがその大きな理由かもしれないです。だから、これは、わたしの個人的考えであって、これが正しいとも思っていないし、みんながそうすべきだとも思っていません。




なんだか、まとまりなく、つらつらとかいてしまいました。くろすけの記事の補足というかなんというか、二人の間にはこんな合意があるんだなという風に思っていただけると幸いです。


カミングアウトは必要ないんだー! [ちょっとまじめに]


カミングアウトをするとかしないとかっていう話を聞くたびに、自分の中に違和感があったのですが、今日しのとはなしていてその正体がわかった気がするので、メモっておきます。「カミングアウト」の意味を履き違えていたらごめんなさい・・;。




カミングアウトするかどうか迷っているひとって、カミングアウトするか、そのひとが(それほど、たとえば親より?)大事じゃないふりするかって、選択肢が極端な気がするんですけど。




僕は親に対しては、しのが僕にとって大事な人で、離婚して日本に来るなら一緒に住むし、経済的に困ってたら僕が養うし、逆に僕が養われるかもしれないし、という話はしています。友達や職場のひとに対しては、「彼女」だと紹介しています。(親にも彼女が・・とか話してるけど)。




でも「自分がゲイでした」という風には誰にもいっていません。<これが僕の「カミングアウト」の定義みたいです。




なんかね、そのひとことって、同性とセックスしました、っていう以上の意味を見出せないのですけど。大事なのはセックスしたかどうかじゃなくて、彼女が自分にとってどういう優先順位のひとなのかわかってもらうのが大切なわけで。セクシュアリティーは固定されたものではないと思うし。




だからうちの親は、僕がしのと一生一緒にいるつもりなのはわかっていると思います。でも「ただの」友達なのかしら?って感じで。




もし親が「彼女とセックスしたの?」って聞いてきたら、「やりまくりだよーv」って答えます。

しのと籍を入れるときには、入れる前に報告はするかな?別に事後報告でも良いんだけど、もしかしたらヨーロッパまで来て酒が飲みたいかもしれないので(笑)。

なんで籍を入れるのかって聞かれたら、社会的に保障してあげたいから、って答えると思います。したいから、かもしれないけど。


座敷には入れません。 [かなりふまじめ]


下のくろすけの記事に検閲が入って一部、伏字になっています。




くろすけは




「このブログってさ、言論の自由と表現の自由への弾圧がひどい」




などといっています。




しかし、もう。単なるどスケベなんだから。




というわけで、罰として、永遠に布団が敷かれた座敷には入れない刑をくろすけに執行しようと思います。







くろすけの体で隠れてるほうの布団にわたしが裸で寝てるのなんかを想像してもらうと、なかなかいい刑罰になるのでは、と思います。




…久しぶりにGIFアニメで遊んでみた。かなり手抜き。


ふすまの向こう・・


しのが、二間続きの部屋に興奮して鞍馬の旅館で撮った写真がでてきました。




ふすまを開けると布団が敷いてある、というのは色気があって良かったです。








このとき、朝風呂に向かう途中でふとんをたたみに来たと思われる宿の人とすれ違ったのですが、ローターが布団のわきに散らかったままだったんですよね(○□*◎%#は洗うために僕が持っていたのですが)。

お風呂から戻ると布団はそのまま敷いてありました。

遠慮してくれたのでしょうか。^^;




このとき、しのにすごーく怒られてうれしかったな。


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